ボノボブログ

独立に向けた記録

自分歴(プロトタイプ)

22~24
・初めて社会に出てた
・仕事の内容は、自分にとって全く興味がなく、知識もないため相当な難易度が高かった
・職場の環境は、帰宅時間は遅く、休日出勤も多いいわゆるブラック企業
・職場の人間関係は最悪だった。上司が苦手な人種であり、話すだけでもつらかった
→とにかく何もかもが最悪だった、仕事、環境、人間関係すべてが最悪で本当にどん底に突き落とされた感覚だった。(大学まででて、俺何やってんだろうと、出征してやろうとなどという気持ちはすぐになくなった)

 

→環境は比較的早く慣れた。仕事は苦手なPCの前で頭を使う仕事(設計)と、得意な体を動かく仕事(装置の立上げ)の半々だったので、死と楽を繰り返していた。
一番苦戦していたのが、上司との人間関係だった。
 上司は自分が一番苦手な、威圧系の怖いタイプ(私は根っからの臆病もの)であり、学生までは、好きなタイプとしか絡まなかったので、どの様に接したらよいかわからず。仕事のできない負い目と臆病な性格から、絶対服従をしており、仕事からプライベート、人格にいたるまで容赦ない罵倒を浴びせられた。

 

→2、3年目からは得意な体を動かす仕事の割合が多く、また上司も自分大好きな方に代わり、ストレス値はだいぶ下がった
 しかし、自分の成長を感じ得ず焦っていた、漠然と転職することを決めていた


24~26歳
・大手企業に移動した
・職場の人間関係はまたまた、上司が苦手なタイプで大ブレーキ
・仕事内容は、苦手なPCでの作業、内容もさらに頭を使うことで大苦戦
・職場の環境は、帰宅時間は対して変わらなかったが、休日は取れた
・一定の場所にとどまることができて、プライベーとが安定する
★ここで大きな起点
プレゼンの失敗がおきる
・とても簡単なプレゼンの失敗をして(そこまで苦手とは思っていない)、大勢の前で大恥をかいてしまう
→人からの評価が自分のすべてという考え方を持っていた為、しぬほどつらい思いをした今までの人生で、人まで大恥をかいたことがなく(かきそうな場面はすべて逃げけていた)逃げることで、自分のプライドたもっていた。自分は一般人ができることはすべてできる(負けず嫌いもあるが、ソフト設計などは、向き不向きがあると自分で場合分けしているが)(プレゼンは、普通ならできなくてはいけないというかんがえがあり)(自分がここはできなくてはいけないと思ったことに関しては、できなくてはいけないとおもうっている)(でいままでは、もしかしたら、できないかもしれないって思ったことをみんなのまでやらないといけないことがあったら)(全力で逃げていた。できないことをばれるのいやだし、なにより、みんなの前で恥を書くことはこの上ない屈辱であった) 

ここ分解必要だな

 

●プレゼンの失敗で、なぜにあそこまで落ち込んだのか
・単純に人前で大恥をかいたことがなく、大恥をかいたから
・恥の原因が、ある程度みんなできるようなことなのに、自分ができなくて
・自分はある程度できる人間(自他ともに認める)だと思っていたから自分はできる人間と思っていたが、すごい簡単なことができないかつ、それをみんなに知られてしまい
自分の中で美化していた自分像を、自他ともに認める形で壊れたということでおそらく、いままでは、できないことがあれば、自分に合っていないという形で、ごまかしていた(この分野ではしょうがないてきな)(できない人を装って逃げていた)
単純にプライドが高いんだよな。できる人と思われたい。価値のある人と思われたい


★もう一つの過程が出てきた
・プレゼン失敗
・このままではいけない(なんだかんだステップアップしてしまっていたから、やっとやばさに気が付いた)
・情報を集めた結果、自分は承認欲のかたまりであり、かつADHDであることを知るどちらも幼少期の教育により形成されるものであり、それはとても共感するものが多くあった
・いったんここで、2つの問題を知り、今後どうしようか?と対策を考える
 ・承認欲=悪とし、どうにかこいつを減らせないか?と考えるようになる(直すべき問題)
 ・ADHDはすんなりと受け入れ、こいつが原因で失敗したし、今の仕事もうまくいかないんだと考えた(自分の性格)
 →そして考えた結果、このまま今と同じことをしていても、ADとうもあり、潰れていく&成功などしないと考え、ADの特徴である、得意なことを延ばすことを考える。また承認欲についても、得意なことをして、自分に自信をもてるようになるのかな?と考え、将来の道を自分で決めようと考える
・そこで、自分には何ができて、何が得意で?という風に、将来の道を見つける為に、自己分析を始める

●つまり,この失敗を起点に、環境を変える+自分の承認欲と向き合うという結論をだし
 自分の問題に対する対策とした


●将来の道はどうなった?
・自己分析をした結果、今まで自分と向き合ってこなかったため、自分が何をしたくて、何が好きで見たいなことが薄いことを感じたそれでも小学生から振り返ることで、何とか自己分析を終えた。
またはじめての自己分析でめちゃ頭を使った。(これだけでも頭のトレーニングになっている)
・この時の答えとして、やりたいことは漠然と昔から言っていた”塾、イベント会社”のみであった。
正直今まで考えてさえいなかったので、もっとほかにもやりたいことをがあるのでは?と考えたそこで出た答えが、すごくありきたりだが、”自分探しの旅に出ること”だった
・ありきたりすぎて笑ってしまうかもしれないが、これがすべてだった
・また、好きなことに”英会話”があったので、初めはオーストラリアにワーホリを行くことも決めた
・その時に始めることとして、日本一周、ワーホリの2つ、この2つは意識高いなどと馬鹿にされるようなことだが自分にとっては、本当に自分探しであり、また、初めてレールから外れることだったので、楽しみでしたかなかたった
(また、自分は意識高いなどとい馬鹿にする人は昔から嫌いであり、人間生きるための意識が高くて何がわるいと思っている)=(俺は意識高いんだと思う漠然と大成したいともおもっているし)
・また、初めて自分に向いたことで、自分を知ることがとても楽しかったし、将来に希望というものがうっすら見えた気がしていた内容は置いておいて、初めてここで自分の足で自分の人生を生き始めた気がする


●そして行動は?
・ここで本来なら、会社を辞めて旅に出るはずなのだが、2つの問題があった。
 ・1つは単純に金欠、意識して貯金をしたことがなかったため、必要性も感じていないため(それくらい計画性がなかった)(海外に行く金がなかった)
 ・もう1つは、出向が2年という縛りがあり、チキンかつ根がまじめな性格であり、途中で投げ出すことができなかった(周りに迷惑がかかる+約束を破ることになる為)
・その結果、あと1年半分は今の仕事を我慢しながらつづけ、将来の為の準備を進めることにした(貯金、塾の準備、ワーホリの為の英語学習)
・また、自己分析の結果、社会に出てから、自分は苦手で嫌いなことばかりしているとわかり、好きで得意なことを使用と思った
それが、「運動」+「イベント」+「人を集める」を組み合わせた、「スポーツサークル」の作成となった。これは人を集めるといった部分では塾にも通じるので、
いい経験にもなるとも思っていた。
(この活動は今では俺の軸となるくらい成功し、プライベーとの充実や、人を集める経験、結婚相手など、数限りなくいいことが生まれた)
(この活動をとおして、自分が得意なことをやることはベクトルを合わせたときに、成功するところを体験できた。これはとても自信となっている)

●その1年半はどうだったの
・こうするぞって決めた初めのうちは、英語の勉強であったり、塾の準備等やっていたが、すぐに問題があることに気が付く
・依然として仕事が一切できないままだったのだ(気持ちだけは整えて、対策としては、環境を変えるだったので)
・仕事ができないせいで、とことん心を病みまくった。軽いうつ位にはなっていたと思う。
・次第にやると決めていたこともてにつかなくなってきて、結局、仕事に振り回されるようになる(もちろん波はあったが)
・この時唯一進められていたことは、スポーツサークルの設立だった。(これだけはプライベートを使い楽しく進めていた)

●それから
・ここであることに気が付く、今の環境にいる限り、仕事をできるようにしないと、心が壊れてしまうと
・なので、いったんはADHDだから苦手なんだとあきらめていた仕事に目を向けるようになる(というか、そうしないと死ぬと思った)
・そこで始めたことが、「問題解決作業」である。いったんADのことは置いておいて、仕事がうまくいかない原因を調べ、対策を打つことを始めた
・そこで出た仕事を進める上での問題「自己管理(期限を守れない)ができない、集中できない(散漫)、深く物事を考えて進めることができない」
 などがあった。
・それを解決するために、また情報をあつめた(流れとしては、プレゼン失敗と同じと感じていた)
 そしたら自己管理について目からうろこなサイトに出くわした(アシタのレシピ)、そこで、自己管理は、想像力や、気力、意思でやるものではなく
 れっきとしたやり方があり、そのスキルを身につければ、備わる能力だと知る(これを知らないこと自体今となっては驚きだが、誰からも教えてもらってないし)
・また、考えを紙に書き出すというスキルをしり(今まではすべて頭の中だけで考えていた)、思いついたことや、考えを書きだす(O/P)することを覚え
 一気に、考えるという能力が向上した(ここは詳しく書いておきたいね)
・その結果、だいぶ仕事が安定した。そこで自分はADと決め込んでいたいたところから圧倒的な成長をすることを実感する(あのまま逃げていたらというところも整理した方がいいかも)
 どうしようもないこと(自己管理等)と、思っていたことでも、スキル等で改善できることを知った。
 自分はまだまだ、基本的な部分でたりていないこともしった。ここで基本的なスキルの大切を知ることとなった。
・このとき、改めてADのことを振り返り、ADでカテゴリしていたら、成長はできていなかったことをしり、あんなに納得していたのに、それは間違っていたことをしる
 (前は、ADにより救われたが、いつまでもADにすがっていては良くないと思う)
・またこのとき、サイト上で7つの習慣が紹介されており、それを読む、そして多大な影響を受けたというか、プレゼン後に自分なりに出した答えと
 この本の初めのころに書いてあった内容がリンクしすぎており、自分はのめり込んでいった。(自己管理のやり方や、自己分析の方法なども学んだ)
・とまあこんな感じで、残された時間で、仕事の取組み改善をしながら、さら何自分を見つめていた、そこのちょうど立ち上げたスポーツサークルが
 自分の予想をはるかに超える勢いでバズり、そのインフラ作業にも追われていた

●最終的には?
・相当仕事への取組みが改善され、死にそうになりながらも必死で食らいつけるようになっていたその中でも、自分ができること、苦手なこともわかってきた
 また、続けていた自己分析も(アドラーにより精度も上がり)
 改めて自分は”塾”に行きたいことが強くわかってきており、また、もっと自分を知る為に自分探しン旅にでるという準備をしていた
・そして満期が近づいていたそのとき、またターニングポイントが訪れる
・出向期間の延長及び、さらなる仕事が忙しいところへの移動を言い渡される
・この時、正直早く旅に出たく、そのために死ぬ思いで頑張っていたので、絶対に残るもんかと思っていたのだが
 すでにこの話は自分の意志とは関係ないとこで進んでおり、会社対会社ではその話がほぼ成立していた
 それをしり、またまた器の小さい自分は、ここで俺が辞めるっていった会社に迷惑をかけてしまうという罪悪感が生じていた
 (また、こんな俺を(仕事ができないと悩みまくっていたので、自己評価は極端にひくかった)まだ欲しいと言ってくれるところがあるんだ
 という、またまた承認欲から、少しだけの喜びはあった。)
 また、人生で一番信頼している、自分の上司から2年間は頑張ったんだから、そっちいってもしだめだったらすぐに戻ってこいという話をしていただき
 (まあそんなことを言われたら、頑張っちゃうのが俺なのだが、おそらくそれも見こされて)
 延長を決めたのである
★さすがにこのときは、相当自分でも何やってんだよ俺とも思ったし、相談していた親友からもかなり軽蔑されたのを覚えている


●移動後
・移動先は、出向先の会社でも有名なハードな職場で、仕事の量が半端なく精鋭が多く所属していた
・最初の1~2ヶ月は、こいつどれくらい仕事ができるか試されるように仕事を渡されていたが
 自分に仕事において自信等あるはずもなかったが、ある程度の基礎は前職場で身に着けていたので、
 結構すんなり仕事を進めることができた
・正直自分でのありえないことがおきたので、自分に力が付いたことを改めて実感できた(前の職場では借金がありすぎ&波もありあまり実感できていなかった)
・そこである程度認められたので、仕事がたくさん来るようになった。
・気づいたあっというまに、20以上の仕事がはいり、たちまち仕事の量にパンクしてしまい、
 また仕事でうまくいかないようになる(ここでは、明確に量によりパンクしており、一つ一つの仕事の進め方は確実に成長はしていた)
 前の職場で身に着けたスキルが、仕事の量と共に、効果が薄れているのを感じていた
・ここでさすがにこの量は自分のキャパを超えていることを知り、改めてやばいところに来たことをしった。
 正直そろそろここが限界だなって思った時にまたまたターニングポイントを迎えることとなる
 それが親友との「他己分析&振り返り会」であった


●親友との振り返り会
・東京で働いている親友と舞として正月遊ぶのだが、一緒に1年間の振り返りをしないかと誘われる(仕事とプライベートの)
・親友の会社ではよくそういったこと社員同士でやっているらしく、親友の俺らでやったら、深いところを見れるんでは?と提案をしてくれた
・そこでいろいろあった2016年を振り返り、改めて自分の成長を感じるとともに、現状の問題点を二人で話し合った
・もうこのころプライベートは完璧に充実していたので、仕事一択だった。
・そして改めて、仕事の問題点を親友と二人で話し合ったのだが、明らかだった。仕事の優先順位をつけていなかったのである
・正直それはわかっていたが、仕事がありすぎてひとつひとつのTODOを明らかにしておらず、優先順位もつけれていなかった。
 そして、優先順位が大切なこともわかってはいた(本当にはわかっていなかった)(電話で相談もしてたな、期限つけるとくるしくなりそうでとか・・そして劇的に変わったことも伝えた・)
・しかし親友はあっさりと、優先順位をつければいいじゃん、なんでそれやらないの?といってくれた
・はっとした、まだ俺ができることがあるのにやっていなかったのだ(ADのせいにしてた時と同じだった)
 優先順位を付けただけで仕事に取り組めるとは正直おもっていなかった。(やってもいないのにやる前に無駄だと決めていた)
・それと完璧主義から来るところも指摘されて、まずは雑にやるアドバイスももらった。
・俺のパターンはたくさんある仕事1つ1つを完璧に理解して、そこから優先つけてっておもっていたので、ハードルが上がりすぎて
 俺のCPうはパンクしていたのだ(今ならわかる)


●その後
・新年職場に戻ったおれは、とりえず雑にだが、優先順位にをつけてみた。
・正直この作業はものすごくつらく大変だった。そもそも期限が嫌いなため、相当な苦痛がくるのでは?という不安とのたたかい
 完璧主義からくる、中途半端なものに優先順位をつけるかんじ(間違っていたら同仕様てきな恐怖)
・この2つの恐怖からくるハードルを何とか越すことができたのも、親友のやればいいじゃんというアドバイスのおかげだった。
・そした、そしたらである。引くくらい仕事をとりかかることに成功したのだ
・自分が粗方やりつくして、もう限界だと思っていたことから、やるべきことをただやっただけで、ここまで変化するとは
 めちゃくちゃびっくりした、衝撃だった。限界を突破した喜びを得た。
 また、振り返り会ってすごいって思った。自分以外の助言の力を体験した
・そこから、上の体験があったので、もっともっと工夫するところ、俺は成長できるとおもった。
・それから、仕事中に進める上で障害となること、自分の課題などが出てくるたびにその対策を模索して自分なりの対策を作りじっこうしまくった。
・ここで出た対策は俺の財産となっている、(というか、問題を抽出して、対策を行うというこの仕組みをできるようになったことが1番の財産となっているが)
・また、振り返り会のすごさも知ったので月1東京で振りかえ入りかいをすることになった。
・そこら半年くらいはトライ&エラ―を繰り返して、一つの壁を破っては、また新たな壁が出てくるを繰り返し行った。
・仕事のスキルが粗方でそろって、自分なりの仕事の進め方が確立したころ、今度は別のベクトルで仕事の問題が発生した
・仕事に対するモチベがなくなっていたのだ、今までは仕事に取り組む過程で出てきた問題達の対策を行っていたのだが
 飽きからか、あらかたスキルがでそろったから、そもそも仕事にとりかかることへのハードルがあがってしまったのだ。


●メンタルアプローチ
・その日その日で波がすごいので、とりかかるハードルは、状態に左右されると仮定をした。
・そこで取り組んだのは、状態の維持、頭を使う系では、状態で一番左右されるのは睡眠だと思い
 全力で睡眠改善に問組んだ。もともと不眠症だったので、休日はしっかり運動して疲れることを意識したり
 とにかく、睡眠だけをに絞り対策を行っていた
・それでも、一向に波は落ちつかなかった。
・なので、モチベーションの見えるかなど、いろいろ試行錯誤をしていた
・モチベーション(仕事を頑張る目的など)の見えるかで波はあらかた落ち着いた
・しかし良く寝れなかったり、なんとなく集中できないなどの波はいぜんとしてあった

 


●第2の進化
・正直ここまでやって、依然として波があるのは、もう本当にここが限界なんだと思った。
 最後の波の部分はあるが、ここまで成長できただけでも本当にすごいし、ものすごい価値のあることだと思った。
・なみはあるが、必死で必死でやっていけばなんとかなるから、もうこのまま頑張るしかないと思った
 このころの口癖が、あと仕事の安定だけなんだよなぁである
・ここが最後のターニングポイントである(すごい最近)
”NOTNET”である
自分は、問題がることに、ネットで情報を集めることをしてきたなごりで
頭がぼーっとしたときや、なんなら朝1で何気なくネットを回覧することがあり
10分程度だが、なんとなくネットを見た後に頭が重くなることを感じていた
そこで
何の脈絡もないが、NOTNETOをしてみた
とりあえず、何か興味を持ってもネットしないときめてみた
するとどうだろう
なんと今世紀最大の安定を見せたのである
おそらくネットをやめたことで、仕事以外やることがなくなり、
かつ、今まで散々仕事のスキルはため込んでいたので、驚くように仕事がはけていった。
本とびっくりする位・・・
・なんだよ結局ネットやめただけかよ?って思うかもしれないが、そうではない
ネットが最後のネックになっていただけで、すべての積みかさねにより、今の安定を手に入れた(ここをもっとわかりやすく)

・そもそも机に座っていることだけでも相当大変だったおれが、今こうして、大変ハードな職場(周りは超有名大学の院そつしかいない)
で仕事を回せていることは奇跡に近い
・こんなすごい成長をすることができたので、これをO/Pしないのはもったいなさ過ぎるということで
今回HPを立ち上げて、この記事を書いている


・そもそも塾で子供たちに指導をするうえで、この上ない、極上の経験を身を以て体験できたことを誇りに思う
・俺は、俺の塾で、この経験で得た様々スキルを子供たちに教えて、社会に出てから通用する力をつけてもらう
(スキルもそうだが、そのスキルを自分で作りだす力、考える力をつけてもらう)
(その大切さも含めて伝えていく)


・またこの期間中に相当苦労したおかげで、人としてもだいぶ成長したし、弱い立場の人にやさしくなれた(つらさをしっていると、優しくなれる)
・人格を育てるをまなんだ(7つの習慣から)
・論理的思考力と問題解決能力も学んだ