ボノボブログ

独立に向けた記録

会社を辞めて独立に向かうビビリ男の話

前日のgirigiribauerさんに引き続き「今年やってよかったことAdvent Calendar2020」の記事を書かせて頂きます

adventar.org

私は去年「独立をする」と決意し、ものすごい葛藤のすえに7年間の会社員生活にピリオドを打ち、去年から今年にかけて独立に向けた様々な活動を行って来ました。その中には「0円でスタートするヒッチハイクで日本一周」など謎の活動もしており、今回は「独立をする」と決意し行動に移すまでの考えや心境の変化を学生時代から振り返り、そして特に何故日本一周に出たのか?そして出てみてどうだったのか?などを整理したので、今年やってよかったこととして記事にさせて頂きます

まとめていたら自叙伝のように長くなってしまったので、これは臆病な男が独立に向かうまでの人生のストーリ本と捉えてください、面倒な方は「4.日本一周へ」「5.日本一周を終えて」から読んで頂き、もし興味が湧いたら始めから読んでもらいたいなと思います

 

そんじゃあ本編始まるよ!

1. 学生時代のふりかえり

1-1. 高校時代

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部活のサッカーに熱中しつつそれなりに楽しい学生生活を送っている一方、自分を否定されることがとにかく怖かった俺は、常にどの様に思われているか?を意識し生活を送っていました

人とのコミュニケーションにおいてはかなりの苦手意識があり、そのため優しそうな人や他者に興味が無さそうな人を選び仲良くし(無意識に)、攻撃性がある人やどっちかわからない人には距離を置き自分のエリアに入ってこれないようにしておりました(俗に言うスクールカースト的なことは大嫌いでした)

また劣等感を感じることを極度に嫌っていたため負ける可能性のある戦は絶対にせず、人前で失敗や恥をかく可能性のあることからは全力で「逃げる」を選択し、なるべく無難に過ごすようにしていました

そういった事から心許せる友人の前でのみボケたりふざけ合ったりと本来の自分を出し、それ以外の人に対しては自分を守ることが精一杯になってしまい本心とは真逆な行動を取っていました

 

~これは会社員になってからの自己分析でわかるのですが~

 

繊細すぎるガラスハートで嫌われることや否定、劣等感に対する耐性が極端に低く、根っからの負けず嫌いな性格もあり、他者からの評価を保つことが自分を守る術となっていました

また自己肯定感の低さから自分に自信を持つことや自分で自分を認めてあげることが出来ず、他者から必要とされたり認められたいという思いが強かったため虚栄心や承認欲求が膨らんでいき、他者の評価を追いかけ頭では良くないと思っていても反射的に自分を大きく見せようとする発言に自己嫌悪をよくしていました

当時は「考える力」が全く無かった為、この様な分析は出来きずに自分のことを全く分かっておらず、なんとなくまわりを気にしすぎてしまう性格なんだなぁ、くらいに捉えていました。またこの「考える力」は後に大きなキーワードとなるのですが、これがないことと元々心配性な性格も相まり将来に「漠然とした不安」を強くもっていました

高校までをまとめると自分を守ることに必死で思いと行動を一致させられず、「漠然とした将来への不安」をもちつつひたすらサッカーに捧げているといった感じです

1-2. 大学時代

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高校までより自由が増え、より自分と相性の良い人とだけいれば良かったので大学時代の友人関係はとても居心地の良いものでした。互いを認め合う文化が根付いているサークルに入ることができ、それまでのバリアが強い自分でいる必要がなくなり自分らしい自分でいれる時間がとても多くなったのと同時に、たくさんの素敵な友人を作ることが出来ました。しかし依然として承認欲求や虚栄心は強くそれ故の自己嫌悪には都度陥ってました

また今までは部活や勉学といった明確な「これをしておけばよい」という型に自分をはめ込んでおけばよかったのですが、大学では自由な時間や行動選択の自由が増えこれといった型がなくなってしまい、一向に「考える力」が育っていなかった俺は、何をしても良いという環境に逆に何をしたら良いのか見出すことができず、高校時代よりも現状や将来についての「漠然とした不安」がより一層大きくなり一人になると不安に押し潰されそうになっていました

大学時代をまとめると

大好きな仲間たちと最高に楽しい時間を過ごす一方、「漠然とした将来への不安」を大きく募らせている、、といった感じです

 

~ちなみに就活は悲惨なものでした~

否定や劣等感を感じることをとにかく拒絶してきた俺は公の場で白黒はっきりと評価されることは初めての経験で、会社説明会の時点でその重圧に耐えることが出来ず早々に就活から逃げることを選択しました

また「考える力」がなかったこともあり自己分析も企業研究も何もせず不可となる可能性が増える競争率が高いところは全部避け、専攻していた電気系でたまたま大学に会社説明に来ていた地元の中小企業1社に絞り就活を行いました

みんなからは1社のみですごいメンタルだね!と言われたが実はその逆、何回も天秤にかけられるだけのメンタルをもっていなかっただけで、その1社も死にものぐるいでもぎ取ったものでした(正直おちていたらどうなっていたのか今でも謎です)

さらにもっというと、大学選考も将来の漠然とした不安感から電気はずっと必要なもので安定だろう、、という事と理系科目が得意だから受かりやすいという理由のみで選んでおり、自分の興味は全く無く、むしろ機械やパソコンは嫌いで、人や教育に興味がありました

2. 会社員時代 (22歳〜25歳 前半戦)

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これからの人生の大半は仕事になるので自分の力を全て捧げよう!とやる気満々で入社した俺は、いきなり3つの大きな壁と向かい合うことになります

 「労働環境」「業務内容」「人間関係」です

 労働環境は中小企業にありがちな朝から晩までの長時間労働と休日出勤です。毎月100時間前後の残業で大学時代が緩かったのもあり、休みなく働くことは本当に大変なものでした

業務内容は工業用の自動制御ロボットの電気的な設計をメーカーの立場で行うもので、大学時代ネットすら引いていなかった機械嫌いの自分はこの分野に全く興味を持てず、また常に体を動かしていたい性格なのに設計というデスクワークは本当に合わずものすごいストレスを感じていました。まぁ自己分析も企業分析も全くしていなかったのでこれは起こるべくして起きてると言えます

また自動制御ロボットの製作は毎回が一点物の新規開発の為、動作不具合やサイクルタイムノルマなど多数の難題があり、常にこれに頭を悩ませていました。この労働環境と業務内容は持ち前の逆境精神でがむしゃらに働くことでぎりぎりやっていけました

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しかし本当にどうにもならなかったのは人間関係です。私が入社した頃の会社の雰囲気は殺伐としており、強い攻撃性を持った人に仕事だけでなくプライベートや人格といったことまで否定される日々が続きました

私はこれまで自分と合う人とだけ仲良くしてきたのですが、会社では業務をこなす上で合う合わない関係なく先輩や上司とはうまくやっていくしかありません。しかし自分と合わない人と距離をとってきた俺はどうしたら良いのか分からず、また否定に対する耐性が無いゆえ会社や上司からの評価にも怯え、とにかく嫌わられない様だけしようと迎合し、先輩や特に上司にはYESだけを言いどんな暴言を受けたり罵倒されても感情を押し殺しながら笑顔でそれを聞いていました

半年した頃には軽い人間不信になり、人に対しては高校時代よりもさらに大きなバリアを作るようになってしまい、特に初対面の人には自分を隠すようになりました(心をひたいたら漬けこまれるという精神状態になっていました)

休みも少なく興味を持てない仕事に加え最悪の人間関係のもと仕事を行ってきた俺は不満がたまり、自己嫌悪や自己否定まで始まり完全に折れる一歩手前まで来ており、当時は常にどこかしらに円形脱毛が発生し本当に限界が近い状態でした(円形は学生の頃から不安なことや大きなストレスがあるとたまになっておりました)

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~この頃は一刻も早く会社から逃げ出したいと思っていたのですが~

△「若いときの苦労は買ってでもしろ!ってどういう意味やねん、まったくわからん!まわりの友達は充実した社会人をおくっているのになんで自分だけ、、、」

△「1年も立たずに辞めた俺を次雇ってくれるところはあるのか?」

△「今までなんとか周りからの評価を保ってきたがこんなにすぐ辞めたらみんなからダメなやつと思われるのではないか?」

△「ここで逃げ出してしまったら今後も同じようなことがあったら逃げ続ける人生になってしまうのでは?」

など、不安ばかりが先行し結局何も行動できないでいました

 その後2度転機が訪れます

▲1度目は2年目の人事異動です

今でも最も尊敬している方の部下になることができ、仕事は辛いがその方の支えがありなんとか続けることが出来ました。この上司は本当に人間味があり、大きな度量で自分の成長を思い辛い事に対する心構えなどを教えて頂きました。この方がいなかったら今の自分は絶対にないと思うので今でも本当に感謝しています

▲2度目は3年目途中での出向です

その上司が取引先であった大企業への出向を提案してくれました。特に仕事ができた訳ではなかったのですが、出来ない分努力だけは人一倍し否定されないようにがむしゃらに働いていた結果、ある程度の評価があり出向者に選ばれました

当時は3年間なんとか続けることが出来たので、区切りをつけ興味のあった教育関係へ転職しようと思っていたのですが、その上司からの提案だったこともあり行ってみることにしました 

3. 会社員時代 (25歳〜29歳 後半戦)

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ここはもっとも辛かった期間でありその経験から人間的に飛躍的に成長をした期間になります

3-1. 大企業への出向

大企業ということで社員はみな有名大卒、俺はこんな人達の中で自分なんかがやっていけるのか?とすぐに不安になりました。労働環境は前よりも厳しくなり月の残業時間は多いときで200時間近くまでいきました。業務内容は同じく自動制御ロボットに関することで、メーカーからユーザーに立場が変わり装置の発案、構想から予算取り立ち上げまでを一貫して行う、より広範囲の全体的な設計になりました

前にもまして難しくなる業務内容に四苦八苦、デスクで頭を抱える時間が大幅に増えたのですが、ここでも人間関係にものすごく苦しみます。ここの上司はとても頭の切れる方で俺の人間的に未熟な部分をすぐに把握され、たくさんのダメ出しを受けました。前とは違い罵詈雑言を受けるのではなく、論理的かつ逃げ道がないよう外堀を埋められながら厳しい言葉を毎日あたえられ、今となれば自分の成長を思いあえて厳しく接してくれていたとわかりますが、当時の俺にそんな余裕はなく毎日続くダメ出しの嵐に心を病みひどい有様に、、、ここでも自分の感情を押し殺しながら嫌われないようにと迎合していました。そして事あるごとに元上司に電話で泣き言を聞いてもらいながらなんとか業務を行っていました

また今まで「仕事は全て気合と根性!」だけでなんとか乗り切ってきたのですが、ここでの業務は複雑かつ難題が山積しており根性論だけではどうしようもなく、もう自分の能力はこのあたりで限界だろうな、、と思うようになっていました

そんな時人生最大のターニングポイントを迎えることになります。それが人前での初めての挫折です

3-2. 初めての挫折

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ある日元いた会社に業務説明のプレゼンを行うことになりました

プレゼン資料は自分で作る事になっていたのですが、プレゼン資料の経験があまりなかったのと、日々の通常業務に追われていた俺はしっかりと資料を準備することができず、また人前で話すことに大の苦手意識があり、今までは出来る限り逃げてきたのですが仕事なのでそんなことは当然できず、当日のプレゼンは本当に悲惨なものになってしまいました

自分でも何言ってるんだろう?とわかるくらいメチャクチャなプレゼンで汗は滝のように流れマウスを持っている手はずっとブルブルと震えていました。ここで初めて人前でちゃんとした失敗をし、社長や先輩、後輩の前で大恥をかくことになりました

プレゼンを終えた俺の心はここにあらずといった感じで

△「恥ずかしい、後輩や先輩もたくさんいる前でなんという醜い姿をさらしてしまったんだ」

△「あぁ終わった、今までずっと必死で守ってきた他者からの評価を失墜させてしまった」

△「これでもう俺に価値はなくなってしまったんだ、誰も俺のことを相手してくれなくなる」

△「てか簡単な会社説明のプレゼンすらできない自分はなんて無能なやつなんだ」

と今までは失敗しそうなことはその前に逃げ表面を取り繕うことで25年間なんとか作り上げ保ってきた自分の中の「すごい自分像」が完全に砕けました 

3-3. 自分自身と初めて向き合う

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これも後の自己分析でわかることですが、自己肯定感の低さから自分は有能で価値がないとみんなから必要とされない、認めてもらえないという思いが強くあり、同じく自分で自分を認めることが出来ないので相手から認めてもらうことで自分は価値のある人間だと思うようにしていました

つまり俺にとっての他者からの評価というものは、自分の存在意義とでもいう「相手に認めてもらうこと」と「自分を認めてあげる」2つの重要な役割をもっていました。この他者からの評価は相手にさえ価値があると思われれば良いものだったので、自分自身を磨くというより、足りない部分は表面だけを取り繕い良いように見せることで成り立たせていました

そして今回のプレゼン失敗は他者からの評価を完全に失墜することで、この2つを初めて失うことになったのです。拠り所にしていたものがなくなり、それが初めての経験だった為どうしたら良いのか本当に分からなくなり、自分が自分でいられなくなる感覚に陥りました

今でもはっきり覚えていることですが、プレゼン帰り新幹線の売店のレジ店員に対し落ち込みきっていた俺は、こんなくずの為に動いてくれてごめんなさい、、と言う気持ちから深々と頭を下げ「ありがとうございます」と言ってしまうくらい迷走状態に落ちいってました。今思うとかなり笑けてきます

しかし次の日の休日、落ち続けた奈落の底で足が地面につくのを感じ、自分の中で何かが吹っ切れ自分は何をこんなに落ち込んでいるんだろう?と落ち込みすぎて逆に冷静になることができ、そして簡単なプレゼンすらまともに出来なかった自分を見つめ直し、「あれ?自分て全然有能なやつなんかじゃなくないか?」となりました

今までは他者の評価から有能な自分というものを強引に自分自身にも刷り込んでいたのですが、今回曲げようの逃げようのない明確な失敗をみんなの前でしたことで、他者評価からも自分自身でもだめな自分というものを認識することができ、「自分は全然すごい人なんかではない!」と初めて自分のありのままを見ることができました

そしてプレゼン失敗からの初の出社日、ここでとんでもない衝撃を受けます。一緒にプレゼンに参加していた同僚、上司からの反応が何も変わらなかったのです、、、自分では価値のある自分でないと誰からも相手にされないと勝手に思い込んでいたのですが、周りは何も変わらずに自分と接してくれます。まるでプレゼンの失敗なんてなかったかのように、、??

ここで俺はものすごく大切な事に気が付きました

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他者は自分が思っているより他人に興味はなく、必死で作り上げ守ってきた「すごい自分像」なんてものに大した意味はなかったのだと、、、この事に気がついた時は青天の霹靂とでもいうほどのものすごい衝撃で、すごくなくてもいいんだ!という開放感は形容しがたいほどの喜びがあり、この時の感覚は今でも鮮明に覚えているのですが、重圧からの開放にまさに翼がはえ生まれ変わった気持ちになり、今まで見ていた景色と全くことなる景色が目の前に広がっている感覚になりました

~初めての挫折を経験して~

今回「プレゼンの失敗」というちゃんとした挫折を人前で初めて経験したことにより、表面を取り繕うことで作り上げてきた「すごい自分像(虚像)」が破壊され、表面的ではない自分のありのままの姿を見ること、そして他者評価の依存、呪縛から脱却するきっかけを掴むことになりました

そこから初めて自分の内側について猛烈な興味が湧いてきて自分のことを知りたい理解したいと思えるようになったのです。これが俺の自己分析、自己改革のはじまりです

3-4. 自己分析、自己改革編

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まず簡単なプレゼンすらまともに出来ない自分はやばいやつなんではないか?という危機感が猛烈にあり、自分のだめな部分を知るところから始めました。洗い出し整理した結果、「承認欲求」というキーワードが抽出され、自分は承認欲求が過剰にあり多くの良くない行動につながっていることを知りました 

そして自分なりに承認欲求について考え抜き、理解するとともにこれを無くすにはどうすればいいのだろう?とたくさんの情報を本やネットから探しました。そこで「嫌われる勇気」という本が自分の考えた抜いた結果と合致しており、そこに書いてある内容を部分的に取り入れることにしました

この本では承認欲求について深く理解することができ、特に影響を受けた内容は

▲他者と自分の課題の分離

他者からの評価を求めて他人をコントロールしようとしてはいけない(そもそも他人はコントロール出来るものではない)

▲過去のトラウマではなく目的で行動できる

幼少期に自己肯定感の大小が決まったとしてもこの先自分で変えていくことが出来る(トラウマは関係ない自分が何をしたいかで未来をつくっていける)

etc…(ここの内容をかくと長くなりすぎるのでいつか別にかきます)

この本との出会いは非常に大きく心に響きすぎて泣きながら読み進め、内容を実践することで大きすぎる承認欲求を理解すると共に徐々に抑えつつ共存することを覚えました。またこの本は承認欲求を完全に否定しているのですが、自分は完全に消し去ることは出来ないと感じたのでうまく付き合っていくという結果に落ち着きました

その後再び自分の駄目な部分を洗い出してヒットしたのがADHDという言葉でした。それまでこの言葉すら知らなかったのですが、自分の特徴とADHDの特徴を照らし合わせてみるとまんま俺じゃん!!となり特に多動性、注意散漫、期限が大の苦手(夏休みの宿題を出せたことがない)整理ができないなどがズバリ!という感覚でした

当時はADHDという存在を知り、今まで数々の問題点の多くはこれが原因だったんだ、、、と自分を慰めることができかなりホッとしたことを覚えています(ちなみにADHDについては強く思うことがあるので別記事に詳細を書きます)

そして自分のだめな部分をあらかた整理出来たところで逆に良いところ、好きなことや得意なことの分析も初めました。分析をしてすぐに思ったことは「自分のことが全然わからない」で、これまでの人生自分がどう思うかは完全に置き去りにし、どの様に思われるか?を軸に置いていた為、自分の声がとても小さくなっていることが分かり

すぐに思いついたのは・・・・「そうだ自分探しの旅に出よう!!」でした、、ものすごく安直ですね笑、自分はADHDだしこの興味もなく苦手な仕事を続けるのではなく自分の得意なことで力を発揮すべきだ!と今の会社は辞め、自分探しの旅に出て自分を知りながら新しい仕事先を見つけよう!という結論が出ました

そこで会社を辞めたいことを上司に相談したのですが、2年の契約期間がありそこまでは続けて欲しいということになり、根が真面目かつチキンな性格であった俺は「周りに迷惑はかけられない、、」と日本一周に出る期日を満了日に定め今の仕事を続けることにしました

しかし!

自分の駄目なところはわかった所で仕事上の問題は何も解決しておらず、(出した答えが転職だったので)難題山積の仕事のストレスから精神を病み、私は次第に窮地に追い詰められていきました。そこからどうせ後1年以上はここでやるしか無いのだから、自分の心が壊れてしまう前に徹底的に業務改革をしていくしかないな!と腹をくくることにしました 

3-5. 業務改革編 

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元々「頑張てできない事はできない事だ」という考えがあり、人間のもつ性質の1つくらいに捉えていたのですが、自己改革の経験から気持ちで頑張る!とかではなく「問題を分析し知識やスキルを学び行動に起こしていくことでできるようになることもある」という考え方に変わっており、自分の仕事がうまくいかない分析を始めました

まず決定的にだめだったところは多動性、注意散漫な部分で、それ故に特に興味が無い物事をじっくり考えることが出来ないことでした。最初これはADHDなんだから自分にはどうしようもないよ、薬とか飲むしかないのかなぁ、、とか考えたのですが、薬でよくなるイメージが湧かなかったので、本やネットから情報を集めることにしました。そこでデスクワークハックの「アシタノレシピ」という記事を見つけとりあえず取り組んでみることにしました

www.ashi-tano.jp

そこには考えていることをメモ帳に書き出すこと、TODOリストを作成しそこに期限をふることなどデスクワークの基礎が書いてあり、今までの根性論かつ頭の中だけで勧めてきたやり方をやめ、どんなことでもメモ帳に書き込むようにしました。みんなすごくあたりまえだろ!と思うかもしれませんが不器用な俺はそういったスキルを全く知らずに業務を行っていました

~実践してみた結果、革命がおきたのでした~

頭の中をメモに書き出すことで、ずっと重たかった頭が整理され考える事に集中できるようになったと当時に、注意散漫のせいで物事を考えるたびに全く関係ないことが頭に入ってきてすぐに頭の中を占領されてしまっていたことが、メモに残すことにより注意散漫が発生してもメモ帳を見直すことで考える対象に戻れることがわかり、そこから物事を深く考えることができるようになりました。また注意散漫の対策として耳栓がいいことも知りそれを実践してみるとびっくりするほど外乱の影響を抑え仕事に集中することができました

イメージでいうと、、

容量の少ないオンボロCPUがそれまでメモリパンパンな状態かつ同じエリアで演算を走らせていたところから、外付けHDを手に入れ記憶と演算のエリアを分けることで処理能力があがり、また演算エラー(注意散漫)を出してもログ(メモ帳)を手に入れたのですぐに演算(考え事)を再開出来き、フィルター(耳栓)をつけたことによりノイズ(外乱)の影響が大幅に削減された!といった感じです

その後も自己管理のやり方など情報を収集しては実践!を繰り返すことで驚くほど業務改善をする事ができ、なんとかぎりぎり食らいつくことが出来るようになりました。これをきっかけに物事を深く考えるスキルを手に入れた俺は日本一周に出るまで時間があったので、仕事をしながら自己分析と自己改革を進めることにしました

3-6. 自己分析、自己改革 〜セカンドシーズン〜

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そして自己分析を再開した時に「7つの習慣」という本に出会います。この本に出会えたことは、「嫌われる勇気」と同じくらい大きくここから加速的に自己分析や自己改革が進むようになります

ここで特に大きく影響を受けた考え方は3つあり

「主体的であること」「人格を育てる」「終わりから考える」です

 ▲まず主体的であることですが、それまでの俺は「世の中良いことが起きたらラッキーその逆はアンラッキー」という感じで、何か起こったらそれに対して反応していくという完全に受動的な人生を送っていました。他者の評価という自分では決めることが出来ないものを拠り所に人生を送ってきた為、主体的であることと正反対の受動性が根付いておりました。主体的であるということは「なにか訳の分からない力のもと現象が起こる」と考えるのではなく「責任を持った上で自分が選択、行動することで自らが事を起こしていく」という考え方で、これはプレゼンを堺に自分と向き合うようになってから自分でも思い始めていたことでした。そしてこの本で主体性についてしっかりと学ぶことができ、「自分の人生は自分で決める、そしてその責任は自分で取っていく」ということを理解できた俺は、自分の人生と正面から向き合い自分が幸せに生きれるように、「しっかりと現状や将来のことを考えた選択や行動をとり自分の人生に責任をとろう!」と思うようになりました

 ▲次に人格を育てるの部分です。これは主体的であるに通じる部分ですが、自分の人生に責任をもつということは自分自身が良い判断や行動をとらないと結果として起こることも悪くなってしまうということで、ネットや本の様々な自己啓発には幸せになる為の〇〇的な記事が多くあり、そこには「ポジティブになる」とか「朝早く起きる」といったことが書かれていたのですが、自分にはどうもそれが合わず、もっと根本的な部分を良くしていかないと本質的な問題は解決しないよ、、と思っていました。この本にはそんな小手先ではなくまず自分の土台、基礎となる「人格」がいかに大切であり、基礎から育てていくことが唯一の問題解決に繋がるということが書かれていました。この内容に激しく同意し、プレゼン前まで表面だけを磨いてた私はずーっと放置してきた自分の人格という部分に目を向け育てていくことなりました

この「主体的である」と「人格を育てる」はしっかりと自分に落とし込むことができ、その結果自分の取る行動がみるみる変わり抜群に良い効果を発揮しました。人に対して明らかに優しい行動もとれるようにもなり、これは実際に家族や友人、先輩からも最近変わったな!大人になってきたな!と言われるほどでした。そして行動が変わっていったことで、プライベートでの様々な問題(期限を守れない、目先の衝動に惑わされるetc..)が解消され、自分に小さな自信がついてきて現状や将来に対する「漠然とした不安」というものがいつの間にか無くなっていきました

人生の責任を放棄していた結果の「何が起きるかわからないという漠然とした不安」に対してしっかりとした自分でいれば恐れることはなくこの先も自分の足で歩いていける!と思えるようなったのです。この「漠然とした不安」は俺の人生において最も大きな問題の1つであったため、ここから開放されたことだけでも幸せな人生に大きく近づきました

 ▲最後に「終わりから考える」です。これは自己分析のやり方であるのと同時に物事の考え方のベースとなるもので、「自分が死ぬ時自分の周りにはどんな人が集まっていますか?」という場面を想像するところから自己分析を始めるといった内容でした。この考え方に衝撃を受け今までは現在、過去の自分だけをみて自己分析を行っていたのですが、終わりから考えるというやり方を知った俺は、「どういう人格、どういう能力、どういう人たちと過ごしたいのか?」といった感じに将来自分はどういう風になりたいのかを考えるようになり、そこから逆算してそれを実現するにはどういった人生設計をすればいいのか?を考えるようになりました。また逆算していく過程で現在、過去というポイントも分析したのですがこの時点では考える力が養われていた為かなり深い分析ができるようになっていました

この「終わりから考える」は自己分析だけではなく物事を考える時のベースとなり、特に仕事においてこの考え方が抜群に力を発揮し

△「この案件はなにをもって完了とすることができるのだろうか?」→と終わりの要件を明確にし

△「それを達成するためには何が必要か?」→という過程、道筋を描き

△「そこに向かって進んでいくために今何をしなくてはいけないのか?」→TODOリストの作成

といった具合に仕事をすすめることが出来るようになりました

ここまでの自己改革を終えADHDだから無理だよ、、となっていた業務は驚くほど改善され、なんとかそれでもなんとか周りの人についていける程度にはなりました。だんだんと改善が進んできたこげるはその後自分の根底にある自己肯定感の低さに注目するようになります

3-7. 自己肯定感の改善編

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自己肯定感を高めていくには自分に自信をつけていくことが必要だと感じ、振り返れば社会に出てから苦手なことしかやっていなかったことに気づいた俺は、今後自分の得意な分野で仕事をしたいという思いもあり、会社員でいる間に仕事以外で自分の好きや得意な事を始めてみよう!となりました。そこで自己分析でわかっていた「運動」+「イベント運営」+「人を集める」という好きであったり得意なことを形にした「社会人スポーツサークル」を非営利で始めることにしました(他にもスポーツサークルを作ろうと思った理由があり、詳細はスポーツサークルのHPにて記載しております)

愛知県に住んでいたので愛知全体を対象として運動をやりたい人を集めることにし、早速IT関係で働いている親友に相談をしてHPをつくり人を集めた所、なんと1ヶ月程度で100人を超える方から連絡をもらいHPを開設してから3ヶ月後の初の体育館スポーツイベントを開催するときには定員40名に対して60人以上から応募をもらうほどの成功を収めることができました

そこから順調に人が集まり、「テニス」「バスケ」「バレー」「サッカー」「フットサル」などを定期的に開催し(基本毎週土日のどちらか)多くの人を集めることができ、気がつけば愛知の総合スポーツサークルにおいて大規模なサークルとなり、特にサッカーは公式の地域社会人リーグに所属し4部リーグ→2部リーグに昇格!という成果もあげました。またスポーツだけでなく運動会、BBQ、飲み会、スノボ合宿、キャンプ合宿、音楽活動などなど様々なイベントを開催し、多くのメンバーの交流の場としても効果を発揮しました

ここでは大学時代に所属していたサークルのように相手を否定せず認め合うことを絶対的なルールとしていたため、自分を含めた多くのメンバーの所属欲と承認欲を満たすこともでき、大好きな運動を大好きな仲間たちと行える環境を手に入れた私は、プライベートにおいて完全に幸せと思えるものを作り上げることができました。また仕事のストレスから不眠症になっていたのですが、運動をした日はぐっすり眠ることができ発散できる場所として仕事にも良い影響をもたらすことにもなりました

mics-nagoya.jimdo.com

この様に「目標を定め自分を分析し行動を起こしていくことで自ら幸せを手にする」という一連のプロセスを経験でき、自分なりの幸せな人生の歩み方を見出すことができた私は、この頃は「あとは仕事だけなんだよな、、、」が口癖になっており、人生において仕事だけが幸せからもっとも遠い存在となっておりました

その後、何度も何度も辛すぎる業務に折れそうになりながら、それでもぎりぎりなんとか食らいつきついに契約期間の2年間を全うすることができました。そんな当時27歳の俺に、まさかのより専門性の高い部所に移動する辞令が届くのでした、、、、

3-8. 2年間の業務延長戦編

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前回同様、仕事ができた訳ではなかったのですが頑張りだけは認められており、電気の精鋭たちが集まるところへ異例のおかわりが入ったのです。正直複雑な気持ちで、当初計画していた自分探しの旅には出る意味はなくなっており(自己分析で自分のことが分かるようになっていたから)、まだこの苦手な分野に身を置くことで自分に足りていない部分の成長ができると思っていた反面、はやく転職をして自分の得意な分野に挑戦してみたい気持ちもありました。また後2年さらに過酷な環境で仕事を行うことが自分に出来るのか?という不安もあり

ここでも元上司に相談をしたところ「2年間は頑張れたのだから次はさらに大変な2年間にはなるが、もしそこでだめだと思ったらその時点で辞めればいいからやれるだけ挑戦してみては?」というアドバイスをもらい、正直苦手な分野で少しは認められたことがとても嬉しくもありおかわりを受けることにしました

新しい部署ではとにかく圧倒的な仕事量でまさに精鋭たちが毎日朝晩猛烈に働いていました。もし前の2年間での成長がなかったらすぐに仕事がパンクして辞めていた思います。ここでは主に工場に設置する自動制御ロボットの電気分野の予算作成から設計、メーカーの選別に仕様書の作成、立ち上げ工事までを遂行、監督するもので、1人が何十件という案件をもち、当然メーカーもその数だけかかえるという本当にハードな職場でした

ここでは自己管理だけでなく他者管理まで徹底しなくてはならず、どんどん新たなスキルを習得していくことになります。また電気の専門性もずば抜けており、高校の時にいつ使うん?と思っていた微分積分といった計算が設計で当たり前のように出てきてびっくりしたことを覚えています。ここの2年間はもっとも過酷な仕事だったのと同時にもっとも仕事のスキルが伸びたところで、命を削りながらどんどん成長していた感覚があります。実際ここでの2年間を経験できたことは相当な自信をつけることができ、苦手分野かつ過酷な場所で、自分の中である程度は納得するところまではやりきったと思わせてもらいました

そしてこの2年間は仕事と並行して自己実現について考えるようになっており、将来の人生設計を時間を見つけてはやるようにしていました 

3-9. 自己実現

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スポーツサークル立ち上げのときにweb関係で力を貸してくれた親友に絶対的な信頼をおいていたので、自己実現の相談をしているうち二人で他己分析や人生設計をやるようになり、月に1回東京で会議を行い互いの分析や人生設計についての考えを深めていきました

プライベートは好きな仲間とスポーツや飲み会ができていれば最高にHappy(とても単純)なのでスポーツサークルを運営していればOK!となりやはり課題は仕事に絞られました。俺はそもそも自分の影響を100%及ぼすことが出来ない組織に所属することや納得しないことを強要されるといった束縛にものすごい反発があり、企業に属している以上はこの問題は一生ついてまわるので、影響を100%及ぼせかつ自分の得意ややりがいを持てることで独立をしようと思いました

そして例のごとく終わりから考える手法を使い、何を実現出来たら自分は幸せになることができるのか?を考えた結果、自分がしたことで周りに良い影響を与え人の役にたったり、少しでも多くの人の為になることができたと感じると最も幸せになれることが分かり、特に私の人生は悩みや不安、苦労をしてきた期間が長かったので、自分と同じように苦しんでいる人に対して1人でも多くの力になれればな、、という思いと自分の経験から力になれることがある!と考えました

これは最初いまだ承認欲求に取り憑かれているのか?とも考えたのですが、人の役に立つことは誰かに迷惑がかかるものでもないし、相手もgood自分もgoodだから良いことじゃんと結論つけました

 自己実現は自分が幸せになる為に、多くの人に良い影響を与えられる人になる!とし40歳までの中間ゴールとして独立における個人と組織としての目標をそれぞれ設定しました

 ▲まず個人としては昔から関心の合った教育の分野で「学習塾」を立ち上げることです

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俺は学生の頃から「漠然とした不安」をかかえ、社会に出てからはこれでもかと言うほどの苦労や辛い思いを経験したのですが、それは考える力がないことや自分自身や社会というものが何も分かっていないことが大きな原因でした。なんでこうなってしまったのだろう?と考えた時そもそも学校では良い大学に入り良い会社に入るための勉強だけを教わり、本当に大切な社会に出てからの力や人格を育てる教育がないことに気が付きました

また大企業にいたのでまわりで、仕事のストレスからうつ病になってしまった高学歴の方を何人も目の辺りにし(このショッキングなことはとても心に刻まれています)、勉強だけでは社会では通用しないことを痛感しており、勉強はもちろん、社会に出てからしっかりと戦っていけるように社会の仕組みや自分自身の分析の仕方、考える力、人格の育て方を1番に考えた学習塾を作りたい!と思いました

子供の頃からこの能力をもたせることができれば早い段階で問題に対して自分でどうにかできる力を付けさせることが出来るし、少しでも早い段階で自分の人生を自分の足で歩くことが出来るようにもなります。そしてたくさん時間のある学生のときこそこの力を育むべきと考えました

そして自分だったらどういう人に勉強や人生を教わりたいか?を考えた時、たくさんの社会経験がありかつしっかりとそこで戦い抜き結果を出した人がいいなと思いました。現状を踏まえると、勉強面を教えることは元々好きで大学の頃塾講師のアルバイトもやっており、ここはしっかり準備をすればOKとなりましたが、人生の方については自分はまだ人に教えるだけの経験や人格、能力が足りていないと感じました。中小企業と大企業は図らずして経験することができましたが、経験したことがないことは深く教えることができないと思い、また得意ややりがいを持てることで独立し結果を残すことが私にとっての社会と戦い抜くことだとも思ったので、いきなり学習塾を立ち上げるのでなく、自分の得意なことで独立をしそれでしっかりとした結果を出そうという考えになりました

独立の中身は10個近く候補をあげており、まだ絞りきれてはなくこれから一番いいと思うものから始めたいと思っています(できれば連続企業で2~5つやりたい)。またいきなり塾から始めないもう1つの理由としては、「塾をはじめました!!・・利回りが効かなくて潰れました!」という子供を振り回すようなことを絶対にしたくなくて、独立の経験を予めしておきたいのと、塾を存続させる為の別に収入源を確保しておきたいという思いもあります。中学時代塾の先生をとても尊敬しており、昔からふざけて将来は塾の先生なるとまわりの友達に言っていたのですが、自己実現でも同じ結果になったことはびっくりしました

 ▲次に組織としての目標は毎月の定例会議をともにした親友と一緒に働く為に、40までに個人事業主から会社として組織化することです

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彼とは幼稚園からの幼馴染で一緒にいて最も心を許せ楽しませてくれる存在であり、昔から彼の能力や人柄が大好きで彼のファンの1人でもあるのですが、彼はITの仕事をしており、そんな彼が自由に何を作っても良いという環境があったときに、どんなものが出来るのだろうか?そしてその現場を一番近くで見ていたい!という思いがあり、彼を自分が作った会社のIT部に招待し、彼が作りたいと思えるものを自由に作ってもらう環境を整えたいと考えました。彼と一緒に仕事することも、彼がどんなものを作り出すのかもとてもワクワクに満ちていることからIT部の名前はワクワク研究部にしてあります笑

ちなみに彼は昔から俺が落ち込んでいる時も、私が何かやりたいと言った時も、どんな時もサポートをしてくれていて、今回のこの独立に関しても全面的にバックアップをしてもくれています。彼からはずっと受け取ってばかりで、彼に対する「恩」は何よりも大きく絶対に返したいものでもあり、「彼が作りたいと思うことを自由に作れる環境をつくる事」が俺の悲願にもなっています

この2つの目標である塾とワクワク研究部の設立はまず俺が独立して結果を出し、会社を組織化させておくことが条件になるので、どんなことがあろうが成し遂げようと思っています

4. いざ日本一周へ

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多大なストレスのなか何度も折れそうになりながらもなんとかおかわりの2年も全うでき、ついに独立に向けて帆をあげるのですが、そもそも社会のレールから出たことない私は、人生設計はしたものの「本当に会社員を辞めて1人でやっていけるのか?」と実行に移すことに葛藤や不安がものすごくありました。また独立にあたり自分にはまだ足りていないと思う能力があったので、とりあえず1年間は成長の為の準備期間および自分がやっていけそうかの見極める期間としてとることにしました(それと辛い会社員をやってこれた自分へのご褒美期間としても取ることにしたことはここだけの話です)

自己改革で唯一うまく改善できていなかったことが人前で自分の考えを上手に話したり自分と合わない人とコミュニケーションをとることでした。人格を育てることや考える力、業務改善等は自己完結出来き、情報収集→実行→フィードバックといった具合にどんどん経験を積むことで成長できたのに対し、人が絡むことは相手を気にするあまり実行に移すことが大きな壁となってしまい経験をうまく積めないことが多くありました

しかし独立においてこの力は最も必要だと感じこれをどうにかしたいと強く思っており、その原因である相手を気にし過ぎてビビってしまう「恐れる心」を改善するためにはどうしたら良いのかを考え抜きました。

そこで出た答えが「0円でスタートするヒッチハイクの日本一周です」(なんでやねんとなるかと思いますが) 

自己分析で分かっていた興味のあることや逆境において抜群に力を発揮できる特性を活かし、興味のあった日本一周に0円ヒッチハイクで出ることで自分を追い込み、先に進むにも生き抜く為にも不特定多数の方と恥をかいてでもコミュニケーションをとるしかない状況を強制的に作り、たくさん恥をかいているうちに恥になれてしまい「恐れる心」に打ち勝つことができるのではないのだろうか?と考えました

また社会のレールから外れることをずっと恐れてきたのですが、いっそのこと思いっきり外れてみることで自分がどの様に感じるかも知りたく、これから成功の保証のない独立をするにあたり、この出来るかどうかわからない挑戦を物差しとしてこれからやっていけそうかの見極めの材料にしようと思いました

つまり、この日本一周は独立に向けた自分を成長させるための環境でもあり、独立に向け社会のレールから外れるという大きな一歩を踏み出す位置づけになります。期間は半年として残りの半年は語学留学に出て英語を学び、すこしでも独立にプラスになればという思いと、英語に興味があったので仕事を頑張ったご褒美的な位置づけになっています

かくして7年間の会社員生活を終え、2019年5月(当時29歳)1円も持たずにヒッチハイクで日本一周に旅立つのであった、、、、 

5. 日本一周を終えて

結果は無事に0円スタートで約半年間の日本一周を終えることができました。日本一周中のあれこれはこちらのブログに残してあります

kogeruquest.theblog.me

日本一周を終えて得られたものと得られなかったものがありますので紹介し振り返っていきます

日本一周に出た最大の目的は気を使いすぎて「恐れる心」が発生して合わない人とうまくコミュニケーションをとれない事と、同じ理由から大勢の前で自分の考えを上手に話せない事の改善!だったのですが

まずここがどうだったか結果から言うと、、、、そこまで劇的に変わることはなかったです、、、、

内訳は各所で行動を起こさないといけない環境下であった為、確かに多くの人とのコミュニケーションはとることができました。しかし最初の話かける壁は突破できても、会話のスキルが低いことが置き去りになっていた為、満足行くコミュニケーションが取れるところまではいけませんでした(自分と合う人の前では自分らしく話せるので最初のメンタルだけが原因だと誤分析していた)

それではこの日本一周は失敗だったのか?というとそんなことはあろうはずがなく、たくさんの貴重過ぎる経験や価値あるものを得ることができました

5-1.「恐れる心」を理解できた

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得られなかった所で紹介した通り目的としていたコミュニケーションの劇的な変化は得られなかったのですが、たくさん恥をかき様々な経験を通して確実にメンタルは強化することができました 

ヒッチハイクやケツバットではもちろん、始めは日本一周中のボードを付けた大きな登山用のリュックを背負い、町中を歩くだけでもひと目が気になりすごく恥ずかしかったのですが、やはり人間は慣れる生き物と言う通り、ひと目に慣れることで自意識を多分に抑えることができ、恥に対してある程度抗体をつけることができました。そして最初の恥の部分を乗り越えてたくさんのコミュニケーションを取れたことで「恐れる心」に対する理解が進み

△慣れていないこと、経験したことがないこと

△苦手としていること

△相手に迷惑をかけるかもしれないと思うこと

上記のどれかが当てはまると発生することが分かり、特にコミュニケーションにおいては様々な性格を持つ人間相手に行うことなので、仲の良い近場の同じ人とだけでなく、多くの人とコミュニケーションをとり様々なバリエーションに慣れることと同時に、自分自身の会話スキルを上げて苦手意識をなくすことが必要だと分かりました。(コミュニケーションを取りに行くメンタルは得ることができたのであとは経験を積んでいき、別で会話スキルの情報を収集し1から勉強するといった感じです)

5-2.レールの外側の世界を知る

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自身が社会のレールから外れることで実際に自分と同じ様にレールとは関係ない所で活動をしている方にそれこそ何十人と会うことができ、そこでバリバリ活躍している人やその人らしい幸せな人生を送っている方、自分と同じ様に悩みながら進むべき道を模索している人など様々な人生に触れることができました。そして頭では理解していたが実際に見て感じたことで、改めてレールから外れようが何をしていようが幸せな人生を送るということは自分次第なんだなと確信することができました

また、自分は今まで外れないようにと窮屈さや疑念を感じながらも必死にレールにしがみついて生きていたのですが、自分と同じような人に初めて会えたことで今まで感じた事のなかった「自分だけじゃなかったんだ、、、」という安心感のようなものにつつまれ、この道でやっていこう!やっていける!と思うことができました。これは実際に行動したから分かったことで、やはりその道を知りたかったら自ら飛び込むしかないことを痛感し、逆にこんなに多くの方と出会えるとも思っていなかったので、自ら飛び込むことの重要さを知ることになりました。確実に視野や価値観が広がったのと同時にその広げ方というものを知ることになりました

5-3.どんな事をしていても生きていけるという自信 

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実際に1円も持たないところから日本一周を完了することができたのですが、この旅は常に金欠で毎日泊まる場所(野宿先)を探し回るという過酷な状況が半年続きました。食べる物が無い日は水だけでやり過ごし、一番暑い時期の沖縄に行き(ばか)蒸し返すような暑さとハブの恐怖に耐えながら公園で野宿をし、10月の北海道ではー1℃に凍えながらヒグマの恐怖に耐えながら公園で野宿をしました。それらを経験したことにより、「あれ?俺はそう簡単に死ぬことはないんじゃないか??」と思うようになりました。特に北海道での野宿が一番そう思わせてくれ、普段の生活で氷点下になることはめったになく、本土にいる限りたとえ路上生活になったとしてもやっていける!と思えるようになりました

また6畳だろうが4畳だろうが雨風を防げる屋根、壁があり布団があればこの上なく快適だし、どんなにお金が無くても0円を経験しているので余裕だな、、と自分の食住の限界点を経験したことで通常生活においては何も恐れることは無いことを知りました。この経験から、独立をし仮にうまくいかなくなりお金も住む場所もなくなったとしても死ぬことはなく、成功するまでやり続ければいいじゃん!とも思えるようにもなりました(こんな境地に立てるとは思っていなかったので改めて素晴らしすぎる経験をすることができたなぁ、と思います)

5-4.多くの優しさに触れて

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この旅はお金が無いかつヒッチハイクという縛りだったため、人と関わり支えてもらわないと即”game over” というものだったのですが、俺は人に対して何かをやってあげたい、役に立ちたいという思いが強い反面、逆に本当に仲のいい人以外から何かをしてもらうとことが得意でなく慣れていませんでした。(誕生日とかのサプライズをしてもらった時に嬉しいのだけどどういう顔をしていいかわからず顔がこわばっちゃう人がいると思いますがその人です)

しかしこの状況では否が応でも人からの施しをうけるしかない環境下であったため

ヒッチハイクで乗せてくれる方

△旅の資金にケツバットやミサンガを買ってくれる方

△食べ物を恵んでくれる方

△家に泊めてくれる方

などなどたくさんの人の優しさに支えられることになりました。そのことが純粋にありがたく嬉しかったのです。(何を当たりな!と思うかもしれないが)慣れていなかった相手からのご行為をたくさん受けとったことで「あぁ人に何かをしてもらえるってこんなに嬉しいことなんだ、、」と心から人の優しさや思いやりを実感することができました

 一方で俺は相手に何かをする時、それはどこか一方的な面を感じており、根底には自己満だよな、、、と自分の行為を全て肯定できない思いがあったのですが、その行為が自己満だろうがなんだろうが相手がHappyになることに変わりはなく、すごく嬉しいことだと知れたので、これからは変な疑念をもつことなく自信を持って前にも増してやっていこう!となりました。(自分もHappy、相手もHappy素晴らしすぎる循環という認識です)そして自分もしっかり受け入れることで優しさの連鎖的なことが起これば最高だなと思うようになりました

5-5.若い時の苦労を買ってでもしたことが糧となった経験的

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”若い時の苦労は買ってでもしろ”という言葉がありますが、その言葉を実感できた話です

長崎から宮崎に向けた(自給自足をしている家族に会いに行くため)ヒッチハイクの道中、長崎を出発したときは所持金が残り350円であったため食べ物を買うことができず(本当にやばい時の為にとっておいた)その日は水だけでやり過ごし、次の日はヒッチハイクがしやすそうな場所を目指して10キロほどの道のりを歩いていた時です

8月の炎天下の中、空腹状態で20キロ近い荷物をもちフラフラになりながら2キロ歩いては道端に倒れ込むように休憩し高速のSAで補給したペットボトルの水を飲み、また2キロ歩き、、といった感じを繰り返しながら進んでいたのですが、次第に疲れと空腹からぶっ倒れそうになり気持ちもどんどんネガティブになっていき、「もうだめだ、、もう歩けない、、つらすぎる、、」となり半分ほど進んだ所で完全に動けなくなってしまいました

そんな時に何故か仕事をしていた時を思い出したのです

過去の回想に書いてあるとおり、私は興味もやりたいとも思えないかつ過酷な仕事を死にものぐるいで取り組んでおり、自慢でも過大認識でもなく自分が知る同世代の友人の中では誰よりも泥の中でもがいていたと思っています。そしてその時の経験がフラッシュバックしてきて

「苦手かつ興味のないことで何度も何度も折れそうになりながらも必死こいてやっていたあの頃にくらべたら、、、今の状況はまだましだ!」となり

「今は自分が望んでやっていることだし、やりたいことに繋がってることなんだから もっと頑張ろう!てか今こそ頑張らなくていつ頑張るんだ!!」という心境に達しそこから謎の力が湧いてきたのでした

 嘘みたいな話ですが自分は実際これのおかげで本当に頑張ろうと思え、心が折れそうになっても折れずに目的の場所までなんとかたどり着きヒッチハイクを継続することができました。過去の全く関係ない経験が今の力になることに本当にびっくりしたのですが、びっくりしたのと同時にとってもとってもとっても嬉しくなりました

当時は

△「俺はこの道を進んで何になるんだろう?」

△「やりたくないことより、やりたいことをやったほうがいいのではないか?」

△「全てを犠牲にして頑張ったところでやっと他の人と同じくらいにしかならないし」

△「楽になりたい、辛い日々から逃れたい」

と葛藤がありつつキラキラ輝いて見える周りの友達をよそ目に、自分は地べたをはいつくばり辛くても逃げずに真っ向から仕事に立ち向かったことが、思わぬ形で自分を助けてくれたのです。この経験から辛かった会社員時代が報われた気がしてなんか本当に泣きそうなくらい嬉しくなりました

ちなみに今回の経験をする前から、このやりたくないことでもがいた7年間は、人として大切な部分がワープ進化するくらい成長できたと感じているので、そもそも全く後悔はしておらず、昔の経験がダイレクトに今に影響を及ぼすことを新たに経験できたことが嬉しかった!という感じです

5-6.行動することの価値を知る

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今回の旅に出て上記のこと以外にもたくさん貴重な経験をすることができたのですがあえて順位をつけるとしたらこの行動することの価値を知れたことが1番大きかったです

ヒッチハイクの時、「目的地までいけるかなぁ、本当に止まってくれるかなぁ」と始めるまで毎回心配になっていたのですが、いざ路上に立つと迷いはなくなりただ止まってもらう為にボードを掲げ、ひたすらヒッチハイクに集中し、結果どんなに時間がかかろうと最終的には必ず目的地に到着することができました 

同じ様に路上で稼ぐときも、「この場所でやってくれる人いるのかなぁ、ケツバットなんかやってくれるかなぁ」と始めるまで毎回心配に思うのですが、ヒッチハイクと同じく始まればその事に集中することで心配は消え去り、結果は誰かしらがやってくれるorやってもらえなくても何かしらの反応や結果を得られ次に繋げることができました。この様に何度も何度も葛藤の後に行動、葛藤の後に行動、、と繰り返していった結果、「行動したら何かしらの成果を手に入れることができる!」というプチ成功体験を積みかさねることができたのでした

もちろんこの0円スタートのヒッチハイク日本一周そのものも始めるまでは「こんな無謀な挑戦俺にできるのか、お金無くなったらどうしよう、野宿なんてどこですれば良いんだ、」などなど心配事は無限にあったのですが、いざ始まれば目の前のことに精一杯で心配なんてしている余裕もなくなり、最終的にはしっかりと生き抜き無事やりきることができました   

このような経験から「あっ、始める前にどんだけ心配してもいざ行動に起こしてしまえば目の前のことに集中でき絶対に何かしらの成果、経験を得ることができるんだ!」ということを身をもって知ることができました(考えている暇があれば行動しろとよく言いますが頭では分かっていてもこういった実体験を積むことができないとなかなか理解できないことだなぁと思います)また今回の旅は無事成功できましたが、仮に金欠でリタイヤしていたとしてもそれまでの経験は同じように得れていたと思うので、結果は同じことを感じたと思います

このことが独立に向けて大きく背中を押してくれていて、「今はまだ独立をしていないので不安や心配事がたくさんあるが、行動にさえ移してしまえば後はその事に集中していけるのだからあとはやるだけじゃん!」という心境に立つことができました

もともと自分の最大の武器は「行動力」だと思っていたのですが、心配性が過ぎるところがあり本来の武器を活かしきれてはいなかったのですが、今回のことで「結果よりも行動そのものに価値があることを完全に理解できたので、これからは自分の武器を最大限に発揮しとにかく行動に移したくさんの経験を得よう!」と思えるようになりました。また始める前に心配することについては、これはこれで必要なものと捉えており、これがあるからこそたくさん考えるし準備をすることができるので、しっかり不安になりその事を考え抜き、不安なままたくさん行動に移していけばいい!と結論つけることができました

5-7.日本一周まとめ

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この様に、今回の日本一周では当初の目的ではない所でたくさんの収穫を得ることができ、価値観や視野を広げられたのと同時に、独立に繋がる心構えを整えることができました。日本一周を始める前は自分が本当に独立なんてできるのか?と挑戦するかどうかものすごく悩んでいましたが、今は本当に後はやるだけじゃん!とやるorやらないについての悩みは一切なくなりました(この結果は本当に自分でもびっくりしています汗)

また今回の経験は間違いなく将来の塾の子供達に伝えていけることなので、こうあったらいいなと思い描く理想の塾長に一歩近づく事ができたのと同時に、今後の経験は全て将来の塾生に伝えていけることに気が付き、もっともっと知らない世界や経験したことないことを取り入れていこう!ととにかく「経験を求めて行動するマン」になる未来が見えてきました

あとがき 

こうして日本一周を2019年の11月に終え、その後2020年3月に語学留学も終えた現在(31歳)は、アルバイトをしながら独立に向けてやってきたことの整理(まさにこのブログ等)をしています

最後に日本一周後から現在までのことや今後の展望などをすこし紹介して終わりにしたいとお思います

2020年の活動

・フィリピン語学留学(3月まで)

  ↓

・北海道礼文島での漁師生活(8月まで)

  ↓ 

那須でのホテルマン(12月まで←今ここ)

  ↓

・過去の振り返り整理(←ここも今ここ) 

▲フィリピン語学留学

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まず日本一周を終えてすぐ1週間後にフィリピン語学留学に出発しました。ここでは英語にどっぷり浸かることができ、やはり興味があったことなので本当に楽しく朝から晩まで英語の勉強をすることができました。期間は4ヶ月で最初は英会話に慣れるところから始まり、終わりの2ヶ月はTOEICコースに移行し、2週間毎のプレテストでは1回目350→2回目455→3回目585→4回目コロナで中止(泣)と着実に力も付けることができました(4回目は絶対に600を超えると勉強をしていたのに、、コロナで学校が休校になってしまいました、、、ピエン)

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{最終スコアはpreTOEICの中で2位!English name はkei でやってました}

ここでも日本一周同様、面白い日本人やフィリピン、台湾、韓国、中国、サウジアラビア、カナダ、アメリカなど様々な国籍の人と出会い、自分の視野や価値観がグーンと広がることになりました。特に外国人はコミュニケーションで相手にバリアを張らない傾向が強く、すごく参考になりました(留学で得たものは別記事で詳しくまとめます)

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{ルームメイトでもあり最も仲良くなった台湾のハリーちゃん}

▲北海道礼文島での漁師生活&那須でのホテルマン(now)

人を集めてイベントを運営することが得意であり、コミュニケーションにおいて自分の成長に最適であるという理由から、最初に始める独立は「イベントバー」としていたのですが、留学から帰ってきた頃(2020年3月)にはコロナがまさに猛威をふるっており、、、今はバー無理だ、、、と一旦白紙にし、どうしようかと考えていました。そして今は独立を焦ってやるのではなく、これだと思ったものができてから始めようと思い、まずは溜まっていたやってきたことの整理や、日本一周によりでき上がった「経験欲しい行動マン」として、やったこと無いことを経験しよう!となりました

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そこで日本一周で出会った方から夏季期間の北海道での漁師バイトを紹介してもらい、早速始め(半端なくハードだった、、)、その後はこれも未知の世界であったサービス業のホテルマンの仕事を那須で始めました(2020年12月まで3ヶ月間)どちらも未知の世界であったため新たな発見の連続と、それぞれの仕事の大変さを身にしてみて感じました。そこから「やはり世の中は誰かの仕事で回っており、支えられているんだな」という思いと、またその大変さを分かることで尊敬や感謝につながることを実感しました(漁師、ホテルマンで得たものは別の記事で詳しくまとめます)

▲過去の振り返り整理

そして現在は、ホテルマンをやりつつ去年から独立に向けてやってきたことの整理をしています。「今年やってよかったこと」はまさにこの振り返り整理ることで、活動で得たものを再認識できたので本当にやってよかったと感じております

2021年にやっていくこと

実家が築30年ほどで母からリフォームしたいという思いを聞いてた折、父が家のほぼ全ての家電機器の交換やリフォームができる万能人間だということが分かり、仕事が忙しい父の代わりに、時間があった(漁師からホテルマンになる間の期間)自分が教えてもらいながら家のリフォームを進めることになりました。そして実家の大掃除をし、古くなった機器を交換し、家の内壁をウッドハウス風にするリフォームを行いました(まだ途中)。これには母も父も大喜びをしてくれ、「あっ、こうやって直接感謝されることってやりがいあるなぁ」と感じ、かつ大工仕事がとても楽しかったので最初の独立は「お家の何でも屋~お掃除からリフォームまで~」に決めました

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{befor リビングの予行練習としてトイレのリフォーム}

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{after 全面を羽目板で囲う

今年いっぱいでホテルマンの仕事がおわるので、来年は実家のリフォームを完成させ技術を付けるのと、必要な資格を取り他でもスキルを学び、来年中に開業届けをだすことを目標にしています

▲あらたな目標ができた

そしてものすごく明確に、面白うそう!これはやってみたい!というアイデアがあり、「お家のなんでも屋」の後にそれに取り掛かろうとしているのですが、ここではまだ発表できないというか先にやられたくないので言えませんが、ものすごいワクワクするやりたいことができました、、、ニヤリ

▲会社名は!

ちなみに個人でも法人でも会社の名前を決めており「Bonobo(ボノボ)」としています。チンパンジーの一種で世界で最も平和な動物と言われ、私が一番好きな動物なのでその名前から取りました、、ニヤリ

誕生日プレゼントで親友達が社名とロゴ入りの名刺入れやサンダルを作ってもらいました、、、ピエン

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▲吉本NSCへ!!

またコミュニケーションや人前での発表のスキルに関して、次の行動は「吉本興業NSCだ!」となり、NSCでお笑いについて本気で取り組み、会話や人前での発表スキルを習得することにしました(笑)これは独立と並行して行うので、できれば来年、独立の活動が忙しくなったら遅くとも再来年には通おうと思っています。これも「経験ほしい行動マン」としてすごくワクワクしています

本当に長くなりましたが、これにて「今年やってよかったこと」である、「独立に向けてやってきたことの整理」のアウトプットを終わりにします

最後まで読んでいただきましてありがとうございます

内容や自分に対して意見やアドバイスなどなどありましたら何でも是非是非ご連絡お待ちしております

ちなみに2016年に立ち上げたスポーツサークルは今でも継続してあり(コロナ下であるので状況を見極めながら)

愛知(MICS)

mics-nagoya.jimdo.com

石川(MACS)

enjoy-sport-circle.jimdofree.com

栃木(KINKSは現在中断)

群馬(MONKS現在中断)

と現在少しづつですが広がっていて、最終目標は47都道府県にこのスポーツサークルを立ち上げ、「全国運動会対決」を行うことが夢となっています

興味がありお住まいの県にあったらぜひ覗いてみてください、また自分もスポーツサークルを立ち上げてみたい!という方がいたらご連絡お待ちしております!立ち上げから運営まで全てサポートします。非営利でやっているので収益はありませんが、それよりも貴重なプライベートの時間を得れますよ!(たぶん)

 

この感覚ー!

・昨日は久しぶりに、逃げた!やらねばいけないことから、逃げた!

 

・ひっさしぶりや、こんな感覚、とにかく怖くて、嫌で嫌で

現実逃避とはこのこと

 

・温めまくってた案件の室内レビューを前に、心がまけちゃった

 

・久しぶりに怖くて温泉までいっちゃった、サウナに逃げた

 

・まぁ、準備はしてたから、今日は、問題なく乗り切ったけど、

・2年前はこれが普通だったなと、そら死ぬわなと笑、

・ひっさしぶりに味わえたが、こりゃー心に悪いわ、そら病むわ

・やっぱり基礎力がないと辛いだけなんだな

・この感覚を忘れてはいけんなぁ

 

・にしても普通に乗り換えたな笑

そーゆーことやな

 

 

結局俺は何がしたいのだろう?

結局俺は何がしたいのだろう?

と自問自答した。

 

きっかけは「高木美帆」さんである。

オリンピックで大活躍をしていた美帆さんをTVで見て可愛さに惹かれ、そのままyoutubeで関連動画をみまくったのだが、姿勢や立ち振る舞いにどんどん惹かれていった。

そんな美帆さんは今回のピョンチャン五輪に「人生をかけないといけない!」と望み練習に取り組んでいたらしい。

「人生をかける」程取り組んだ末のメダルだったのかぁ、と感心していたのだが、ふと俺には「人生をかける」って何を意味するのだろうと思った。

そして、俺も高木さんみたいに「人生をかける」くらい物事に情熱を燃やして取り組んでみたいなと思い、将来について考えてみた。(今が味の無くなったガムみたいな仕事をしているのもあり・・)

 

将来は漠然と塾をやりたいと思っていたが、それは人生をかけるに値するのか?と思い、なんか違うかなって思った。

 

60~70歳まで子供たちに塾を行うだけでは、人生をかけるって何か違う気がした。もっと社会に貢献をできるのではないか、もっと違う何かになりたいんじゃないかって思った。

息抜きにyoutubeで起業家の動画を見ていてたら、孫さんの動画がたまたま出てきたのでみてみた。

孫さんは「人生をかける」にあたいするものきめるのに、19歳のとき、1年半もの時間を使って、・50年続けらるか?・情熱を燃やし続けられるか?・その分野でNo1になれるか?など独自の25個の項目で40あったアイディアのなかから、いまのコンピュータソフトでの企業を選んだらしい

 

なるほどって思った。

人生をかけるってそーユーことだよなって思った。

 

それで、俺なりに50年続き、情熱をそそぎつづけるものは?

って考えたときに、

塾+αであった。

やはり塾は俺にとって大切なものであり、情熱をそそげるものなのだが、50年と考えると、俺一人ではなんか違うって思った。

そうか、会社なんだって気付いた。会社なら50年続けたいと思うし、塾+αもやっていけるってわかった。

塾を起点に、絶えず新しいことをやり続けて、少数精鋭の仲間と自分の会社をもてたら、俺にとって最高そのもであることにきづいた。

+αの部分はこれから1年半かけて精査していこうと思う(人と人が繋がるがテーマ)

 

というかむかしから理想はあったが、チキンな俺はリスクを恐れて会社って形態に抵抗があった。しかし深く考えたら、その考え自体がリスク(追うべき結果、夢が小さすぎた)だってことをしった。

 

「人生をかける」とは、最高の結果を現実から逃げずにおいもとめることであり、俺にとってのそれは、最高の仲間と情熱を持って自分たちの会社を持つことだとわかった。

 

孫さんも志高くといっていた。

夢のでかさがにおおむね人生は比例するとも言っていた

 

俺一人の成功は正直小さい夢だったわかった。

「信頼できる仲間とともに成功しハッピーになる」が俺にとっての金メダルなのだ!!

 

美帆さんのスポンサーになれるくらいの会社をつくるぜっ!!

(小さっ!って思わないでね)

こげる出向おわるってよ!後半年で

・長かった地獄の出向期間が残り半年となった。

まさかこの出向で満期を迎えられるとは思ってもいなかったのでとても感慨深い

 

・ふり返るとこの3年半、試練と絶望をくりかえし、成長と希望をてにしてきた。

・現状はというと、理想と思えるシャチリーマンには92%近くまではこれたと思う

あと8%・・・・

・俺はたいてい何事も80%くらいまでは一気に進める、成長の実感(傾きもある)もあり楽しく進める、そして最後の20%で成長を感じず(傾きが鈍る)、あきだし、挫折する。

ってのが俺のいつものパターン

 

・今回は違う、逃げられない状況のなか、おそらく初めてここまで一つのことに専念でき、そして92%まではこれた。(思考力や様々なスキルを習得できた)

・ここから先は未知であり、本当の意味での成長が待っている。はずである

 

取得した論理的思考力&問題解決能力を使い、もう1,2工夫して最後の仕上げをしていく必要がある。

 

例)

膨大な仕事量に対し、今までのスキルでは、書き出し、期限決め、見える化、等の工夫を行い、仕事のハードルを下げ、モチベの部分でやり始めたら一つに集中する、今を楽しむ等の意識化などで取り掛かっていくというものである

最近得た工夫(のこり8%の部分は)

上記の対策をしてもそれでもうまくいかないときに、取り掛かかるまでの制止摩擦力にたいしては、全体の把握により、焦りの力を推進力にかえ、仕事スイッチをONにし万全の力で仕事にとりかかり、いったん回りだしたら、こんどは全体把握への頭回しを一切OFFにして、目の前の仕事を楽しむことに全力を注ぐ

みたいにな少し複雑なスキルを手に入れて、なるほど、のこりの8%はそういった単純ではない工夫をしていき到達するところなんだ!ってことに漠然ときがついてきた

 

 

・それをしっかりと認識しているからこそ、最後の半年を大切にしようと思っている

・尻つぼみで終わるつもりはない、ここまでやってこれたのだから、未知の範囲の成長を得るため、懐を深くするため、とことんやってやる。って思う今日この頃

 

・そう完全に飽きかけていたところからの挑戦である

極めるって最後のオフセットのとこなんだな・・・

I制御がんばるんば!インテグラル!

自分歴(プロトタイプ)

22~24
・初めて社会に出てた
・仕事の内容は、自分にとって全く興味がなく、知識もないため相当な難易度が高かった
・職場の環境は、帰宅時間は遅く、休日出勤も多いいわゆるブラック企業
・職場の人間関係は最悪だった。上司が苦手な人種であり、話すだけでもつらかった
→とにかく何もかもが最悪だった、仕事、環境、人間関係すべてが最悪で本当にどん底に突き落とされた感覚だった。(大学まででて、俺何やってんだろうと、出征してやろうとなどという気持ちはすぐになくなった)

 

→環境は比較的早く慣れた。仕事は苦手なPCの前で頭を使う仕事(設計)と、得意な体を動かく仕事(装置の立上げ)の半々だったので、死と楽を繰り返していた。
一番苦戦していたのが、上司との人間関係だった。
 上司は自分が一番苦手な、威圧系の怖いタイプ(私は根っからの臆病もの)であり、学生までは、好きなタイプとしか絡まなかったので、どの様に接したらよいかわからず。仕事のできない負い目と臆病な性格から、絶対服従をしており、仕事からプライベート、人格にいたるまで容赦ない罵倒を浴びせられた。

 

→2、3年目からは得意な体を動かす仕事の割合が多く、また上司も自分大好きな方に代わり、ストレス値はだいぶ下がった
 しかし、自分の成長を感じ得ず焦っていた、漠然と転職することを決めていた


24~26歳
・大手企業に移動した
・職場の人間関係はまたまた、上司が苦手なタイプで大ブレーキ
・仕事内容は、苦手なPCでの作業、内容もさらに頭を使うことで大苦戦
・職場の環境は、帰宅時間は対して変わらなかったが、休日は取れた
・一定の場所にとどまることができて、プライベーとが安定する
★ここで大きな起点
プレゼンの失敗がおきる
・とても簡単なプレゼンの失敗をして(そこまで苦手とは思っていない)、大勢の前で大恥をかいてしまう
→人からの評価が自分のすべてという考え方を持っていた為、しぬほどつらい思いをした今までの人生で、人まで大恥をかいたことがなく(かきそうな場面はすべて逃げけていた)逃げることで、自分のプライドたもっていた。自分は一般人ができることはすべてできる(負けず嫌いもあるが、ソフト設計などは、向き不向きがあると自分で場合分けしているが)(プレゼンは、普通ならできなくてはいけないというかんがえがあり)(自分がここはできなくてはいけないと思ったことに関しては、できなくてはいけないとおもうっている)(でいままでは、もしかしたら、できないかもしれないって思ったことをみんなのまでやらないといけないことがあったら)(全力で逃げていた。できないことをばれるのいやだし、なにより、みんなの前で恥を書くことはこの上ない屈辱であった) 

ここ分解必要だな

 

●プレゼンの失敗で、なぜにあそこまで落ち込んだのか
・単純に人前で大恥をかいたことがなく、大恥をかいたから
・恥の原因が、ある程度みんなできるようなことなのに、自分ができなくて
・自分はある程度できる人間(自他ともに認める)だと思っていたから自分はできる人間と思っていたが、すごい簡単なことができないかつ、それをみんなに知られてしまい
自分の中で美化していた自分像を、自他ともに認める形で壊れたということでおそらく、いままでは、できないことがあれば、自分に合っていないという形で、ごまかしていた(この分野ではしょうがないてきな)(できない人を装って逃げていた)
単純にプライドが高いんだよな。できる人と思われたい。価値のある人と思われたい


★もう一つの過程が出てきた
・プレゼン失敗
・このままではいけない(なんだかんだステップアップしてしまっていたから、やっとやばさに気が付いた)
・情報を集めた結果、自分は承認欲のかたまりであり、かつADHDであることを知るどちらも幼少期の教育により形成されるものであり、それはとても共感するものが多くあった
・いったんここで、2つの問題を知り、今後どうしようか?と対策を考える
 ・承認欲=悪とし、どうにかこいつを減らせないか?と考えるようになる(直すべき問題)
 ・ADHDはすんなりと受け入れ、こいつが原因で失敗したし、今の仕事もうまくいかないんだと考えた(自分の性格)
 →そして考えた結果、このまま今と同じことをしていても、ADとうもあり、潰れていく&成功などしないと考え、ADの特徴である、得意なことを延ばすことを考える。また承認欲についても、得意なことをして、自分に自信をもてるようになるのかな?と考え、将来の道を自分で決めようと考える
・そこで、自分には何ができて、何が得意で?という風に、将来の道を見つける為に、自己分析を始める

●つまり,この失敗を起点に、環境を変える+自分の承認欲と向き合うという結論をだし
 自分の問題に対する対策とした


●将来の道はどうなった?
・自己分析をした結果、今まで自分と向き合ってこなかったため、自分が何をしたくて、何が好きで見たいなことが薄いことを感じたそれでも小学生から振り返ることで、何とか自己分析を終えた。
またはじめての自己分析でめちゃ頭を使った。(これだけでも頭のトレーニングになっている)
・この時の答えとして、やりたいことは漠然と昔から言っていた”塾、イベント会社”のみであった。
正直今まで考えてさえいなかったので、もっとほかにもやりたいことをがあるのでは?と考えたそこで出た答えが、すごくありきたりだが、”自分探しの旅に出ること”だった
・ありきたりすぎて笑ってしまうかもしれないが、これがすべてだった
・また、好きなことに”英会話”があったので、初めはオーストラリアにワーホリを行くことも決めた
・その時に始めることとして、日本一周、ワーホリの2つ、この2つは意識高いなどと馬鹿にされるようなことだが自分にとっては、本当に自分探しであり、また、初めてレールから外れることだったので、楽しみでしたかなかたった
(また、自分は意識高いなどとい馬鹿にする人は昔から嫌いであり、人間生きるための意識が高くて何がわるいと思っている)=(俺は意識高いんだと思う漠然と大成したいともおもっているし)
・また、初めて自分に向いたことで、自分を知ることがとても楽しかったし、将来に希望というものがうっすら見えた気がしていた内容は置いておいて、初めてここで自分の足で自分の人生を生き始めた気がする


●そして行動は?
・ここで本来なら、会社を辞めて旅に出るはずなのだが、2つの問題があった。
 ・1つは単純に金欠、意識して貯金をしたことがなかったため、必要性も感じていないため(それくらい計画性がなかった)(海外に行く金がなかった)
 ・もう1つは、出向が2年という縛りがあり、チキンかつ根がまじめな性格であり、途中で投げ出すことができなかった(周りに迷惑がかかる+約束を破ることになる為)
・その結果、あと1年半分は今の仕事を我慢しながらつづけ、将来の為の準備を進めることにした(貯金、塾の準備、ワーホリの為の英語学習)
・また、自己分析の結果、社会に出てから、自分は苦手で嫌いなことばかりしているとわかり、好きで得意なことを使用と思った
それが、「運動」+「イベント」+「人を集める」を組み合わせた、「スポーツサークル」の作成となった。これは人を集めるといった部分では塾にも通じるので、
いい経験にもなるとも思っていた。
(この活動は今では俺の軸となるくらい成功し、プライベーとの充実や、人を集める経験、結婚相手など、数限りなくいいことが生まれた)
(この活動をとおして、自分が得意なことをやることはベクトルを合わせたときに、成功するところを体験できた。これはとても自信となっている)

●その1年半はどうだったの
・こうするぞって決めた初めのうちは、英語の勉強であったり、塾の準備等やっていたが、すぐに問題があることに気が付く
・依然として仕事が一切できないままだったのだ(気持ちだけは整えて、対策としては、環境を変えるだったので)
・仕事ができないせいで、とことん心を病みまくった。軽いうつ位にはなっていたと思う。
・次第にやると決めていたこともてにつかなくなってきて、結局、仕事に振り回されるようになる(もちろん波はあったが)
・この時唯一進められていたことは、スポーツサークルの設立だった。(これだけはプライベートを使い楽しく進めていた)

●それから
・ここであることに気が付く、今の環境にいる限り、仕事をできるようにしないと、心が壊れてしまうと
・なので、いったんはADHDだから苦手なんだとあきらめていた仕事に目を向けるようになる(というか、そうしないと死ぬと思った)
・そこで始めたことが、「問題解決作業」である。いったんADのことは置いておいて、仕事がうまくいかない原因を調べ、対策を打つことを始めた
・そこで出た仕事を進める上での問題「自己管理(期限を守れない)ができない、集中できない(散漫)、深く物事を考えて進めることができない」
 などがあった。
・それを解決するために、また情報をあつめた(流れとしては、プレゼン失敗と同じと感じていた)
 そしたら自己管理について目からうろこなサイトに出くわした(アシタのレシピ)、そこで、自己管理は、想像力や、気力、意思でやるものではなく
 れっきとしたやり方があり、そのスキルを身につければ、備わる能力だと知る(これを知らないこと自体今となっては驚きだが、誰からも教えてもらってないし)
・また、考えを紙に書き出すというスキルをしり(今まではすべて頭の中だけで考えていた)、思いついたことや、考えを書きだす(O/P)することを覚え
 一気に、考えるという能力が向上した(ここは詳しく書いておきたいね)
・その結果、だいぶ仕事が安定した。そこで自分はADと決め込んでいたいたところから圧倒的な成長をすることを実感する(あのまま逃げていたらというところも整理した方がいいかも)
 どうしようもないこと(自己管理等)と、思っていたことでも、スキル等で改善できることを知った。
 自分はまだまだ、基本的な部分でたりていないこともしった。ここで基本的なスキルの大切を知ることとなった。
・このとき、改めてADのことを振り返り、ADでカテゴリしていたら、成長はできていなかったことをしり、あんなに納得していたのに、それは間違っていたことをしる
 (前は、ADにより救われたが、いつまでもADにすがっていては良くないと思う)
・またこのとき、サイト上で7つの習慣が紹介されており、それを読む、そして多大な影響を受けたというか、プレゼン後に自分なりに出した答えと
 この本の初めのころに書いてあった内容がリンクしすぎており、自分はのめり込んでいった。(自己管理のやり方や、自己分析の方法なども学んだ)
・とまあこんな感じで、残された時間で、仕事の取組み改善をしながら、さら何自分を見つめていた、そこのちょうど立ち上げたスポーツサークルが
 自分の予想をはるかに超える勢いでバズり、そのインフラ作業にも追われていた

●最終的には?
・相当仕事への取組みが改善され、死にそうになりながらも必死で食らいつけるようになっていたその中でも、自分ができること、苦手なこともわかってきた
 また、続けていた自己分析も(アドラーにより精度も上がり)
 改めて自分は”塾”に行きたいことが強くわかってきており、また、もっと自分を知る為に自分探しン旅にでるという準備をしていた
・そして満期が近づいていたそのとき、またターニングポイントが訪れる
・出向期間の延長及び、さらなる仕事が忙しいところへの移動を言い渡される
・この時、正直早く旅に出たく、そのために死ぬ思いで頑張っていたので、絶対に残るもんかと思っていたのだが
 すでにこの話は自分の意志とは関係ないとこで進んでおり、会社対会社ではその話がほぼ成立していた
 それをしり、またまた器の小さい自分は、ここで俺が辞めるっていった会社に迷惑をかけてしまうという罪悪感が生じていた
 (また、こんな俺を(仕事ができないと悩みまくっていたので、自己評価は極端にひくかった)まだ欲しいと言ってくれるところがあるんだ
 という、またまた承認欲から、少しだけの喜びはあった。)
 また、人生で一番信頼している、自分の上司から2年間は頑張ったんだから、そっちいってもしだめだったらすぐに戻ってこいという話をしていただき
 (まあそんなことを言われたら、頑張っちゃうのが俺なのだが、おそらくそれも見こされて)
 延長を決めたのである
★さすがにこのときは、相当自分でも何やってんだよ俺とも思ったし、相談していた親友からもかなり軽蔑されたのを覚えている


●移動後
・移動先は、出向先の会社でも有名なハードな職場で、仕事の量が半端なく精鋭が多く所属していた
・最初の1~2ヶ月は、こいつどれくらい仕事ができるか試されるように仕事を渡されていたが
 自分に仕事において自信等あるはずもなかったが、ある程度の基礎は前職場で身に着けていたので、
 結構すんなり仕事を進めることができた
・正直自分でのありえないことがおきたので、自分に力が付いたことを改めて実感できた(前の職場では借金がありすぎ&波もありあまり実感できていなかった)
・そこである程度認められたので、仕事がたくさん来るようになった。
・気づいたあっというまに、20以上の仕事がはいり、たちまち仕事の量にパンクしてしまい、
 また仕事でうまくいかないようになる(ここでは、明確に量によりパンクしており、一つ一つの仕事の進め方は確実に成長はしていた)
 前の職場で身に着けたスキルが、仕事の量と共に、効果が薄れているのを感じていた
・ここでさすがにこの量は自分のキャパを超えていることを知り、改めてやばいところに来たことをしった。
 正直そろそろここが限界だなって思った時にまたまたターニングポイントを迎えることとなる
 それが親友との「他己分析&振り返り会」であった


●親友との振り返り会
・東京で働いている親友と舞として正月遊ぶのだが、一緒に1年間の振り返りをしないかと誘われる(仕事とプライベートの)
・親友の会社ではよくそういったこと社員同士でやっているらしく、親友の俺らでやったら、深いところを見れるんでは?と提案をしてくれた
・そこでいろいろあった2016年を振り返り、改めて自分の成長を感じるとともに、現状の問題点を二人で話し合った
・もうこのころプライベートは完璧に充実していたので、仕事一択だった。
・そして改めて、仕事の問題点を親友と二人で話し合ったのだが、明らかだった。仕事の優先順位をつけていなかったのである
・正直それはわかっていたが、仕事がありすぎてひとつひとつのTODOを明らかにしておらず、優先順位もつけれていなかった。
 そして、優先順位が大切なこともわかってはいた(本当にはわかっていなかった)(電話で相談もしてたな、期限つけるとくるしくなりそうでとか・・そして劇的に変わったことも伝えた・)
・しかし親友はあっさりと、優先順位をつければいいじゃん、なんでそれやらないの?といってくれた
・はっとした、まだ俺ができることがあるのにやっていなかったのだ(ADのせいにしてた時と同じだった)
 優先順位を付けただけで仕事に取り組めるとは正直おもっていなかった。(やってもいないのにやる前に無駄だと決めていた)
・それと完璧主義から来るところも指摘されて、まずは雑にやるアドバイスももらった。
・俺のパターンはたくさんある仕事1つ1つを完璧に理解して、そこから優先つけてっておもっていたので、ハードルが上がりすぎて
 俺のCPうはパンクしていたのだ(今ならわかる)


●その後
・新年職場に戻ったおれは、とりえず雑にだが、優先順位にをつけてみた。
・正直この作業はものすごくつらく大変だった。そもそも期限が嫌いなため、相当な苦痛がくるのでは?という不安とのたたかい
 完璧主義からくる、中途半端なものに優先順位をつけるかんじ(間違っていたら同仕様てきな恐怖)
・この2つの恐怖からくるハードルを何とか越すことができたのも、親友のやればいいじゃんというアドバイスのおかげだった。
・そした、そしたらである。引くくらい仕事をとりかかることに成功したのだ
・自分が粗方やりつくして、もう限界だと思っていたことから、やるべきことをただやっただけで、ここまで変化するとは
 めちゃくちゃびっくりした、衝撃だった。限界を突破した喜びを得た。
 また、振り返り会ってすごいって思った。自分以外の助言の力を体験した
・そこから、上の体験があったので、もっともっと工夫するところ、俺は成長できるとおもった。
・それから、仕事中に進める上で障害となること、自分の課題などが出てくるたびにその対策を模索して自分なりの対策を作りじっこうしまくった。
・ここで出た対策は俺の財産となっている、(というか、問題を抽出して、対策を行うというこの仕組みをできるようになったことが1番の財産となっているが)
・また、振り返り会のすごさも知ったので月1東京で振りかえ入りかいをすることになった。
・そこら半年くらいはトライ&エラ―を繰り返して、一つの壁を破っては、また新たな壁が出てくるを繰り返し行った。
・仕事のスキルが粗方でそろって、自分なりの仕事の進め方が確立したころ、今度は別のベクトルで仕事の問題が発生した
・仕事に対するモチベがなくなっていたのだ、今までは仕事に取り組む過程で出てきた問題達の対策を行っていたのだが
 飽きからか、あらかたスキルがでそろったから、そもそも仕事にとりかかることへのハードルがあがってしまったのだ。


●メンタルアプローチ
・その日その日で波がすごいので、とりかかるハードルは、状態に左右されると仮定をした。
・そこで取り組んだのは、状態の維持、頭を使う系では、状態で一番左右されるのは睡眠だと思い
 全力で睡眠改善に問組んだ。もともと不眠症だったので、休日はしっかり運動して疲れることを意識したり
 とにかく、睡眠だけをに絞り対策を行っていた
・それでも、一向に波は落ちつかなかった。
・なので、モチベーションの見えるかなど、いろいろ試行錯誤をしていた
・モチベーション(仕事を頑張る目的など)の見えるかで波はあらかた落ち着いた
・しかし良く寝れなかったり、なんとなく集中できないなどの波はいぜんとしてあった

 


●第2の進化
・正直ここまでやって、依然として波があるのは、もう本当にここが限界なんだと思った。
 最後の波の部分はあるが、ここまで成長できただけでも本当にすごいし、ものすごい価値のあることだと思った。
・なみはあるが、必死で必死でやっていけばなんとかなるから、もうこのまま頑張るしかないと思った
 このころの口癖が、あと仕事の安定だけなんだよなぁである
・ここが最後のターニングポイントである(すごい最近)
”NOTNET”である
自分は、問題がることに、ネットで情報を集めることをしてきたなごりで
頭がぼーっとしたときや、なんなら朝1で何気なくネットを回覧することがあり
10分程度だが、なんとなくネットを見た後に頭が重くなることを感じていた
そこで
何の脈絡もないが、NOTNETOをしてみた
とりあえず、何か興味を持ってもネットしないときめてみた
するとどうだろう
なんと今世紀最大の安定を見せたのである
おそらくネットをやめたことで、仕事以外やることがなくなり、
かつ、今まで散々仕事のスキルはため込んでいたので、驚くように仕事がはけていった。
本とびっくりする位・・・
・なんだよ結局ネットやめただけかよ?って思うかもしれないが、そうではない
ネットが最後のネックになっていただけで、すべての積みかさねにより、今の安定を手に入れた(ここをもっとわかりやすく)

・そもそも机に座っていることだけでも相当大変だったおれが、今こうして、大変ハードな職場(周りは超有名大学の院そつしかいない)
で仕事を回せていることは奇跡に近い
・こんなすごい成長をすることができたので、これをO/Pしないのはもったいなさ過ぎるということで
今回HPを立ち上げて、この記事を書いている


・そもそも塾で子供たちに指導をするうえで、この上ない、極上の経験を身を以て体験できたことを誇りに思う
・俺は、俺の塾で、この経験で得た様々スキルを子供たちに教えて、社会に出てから通用する力をつけてもらう
(スキルもそうだが、そのスキルを自分で作りだす力、考える力をつけてもらう)
(その大切さも含めて伝えていく)


・またこの期間中に相当苦労したおかげで、人としてもだいぶ成長したし、弱い立場の人にやさしくなれた(つらさをしっていると、優しくなれる)
・人格を育てるをまなんだ(7つの習慣から)
・論理的思考力と問題解決能力も学んだ

社会人7年目 超進化

3年ほど前から散々取り組んできた、デスクワーク苦手克服について、ようやくひと段落した。といいきれるとこまできた。

 

さんざんスキル的な試行錯誤はし、それでもいま一つ上手くいかず、ほどほどあきらめかけ、おびえていた

 

結果から言うと、「業務中のネットを辞めた」。そうこれが最後のボトルネックだった。(情報を取り込み過ぎてパンクしていた)

 

1月10日(水)~1月17日(水)約一週間コンディションをキープしている。迷いがない。恐れもない。いままでとは違い、確信を持ってコンディションを保てている

 

睡眠が最後の鍵だとおもっていたが、それは違った。

 

もっと早く気がつけよと思うが、俺はいつもそうなんだ、たいてい突拍子もないところに最後のボトルネックが潜んでいる。つくづく不器用な人間だ。

 

そして、この問題解決にいたるまで、多方向からアプローチをした結果。相当強いデスクワークのスキル、考え方、経験を得ることができた。

 

正直、今、苦しめられていた仕事がうそのように軽く感じている。これこそ長進化なんだな。

 

しかし、何のスキルもなく、ネットを辞めることをしただけでは、勿論今の力はない

 

今回、大の苦手を、プロセスをおって克服できたことが、俺にとにかくほしかった自信をくれた。

 

おそらくネットを見るがなかったらもっともっと早い段階で克服していたんだと思うが、逆にそのおかげで必要以上のスキルを身につけることができた。

 

あの試行錯誤はむだでなかったと思えることがとにかくうれしい、今とにかくうれしいのだ、これを記事にしなくてはいられないほど

 

そして今最新のスキルを得た。

 

それは、やることを「パターン」に落とし込むことだ。

これの大切さをしった。

 

よっぽど、未知のことに取り組むこと以外は、「パターン」があるのだ。そのパターンを見つけることが、先に進む鍵なのだ。

 

毎回0からはじめるのではく、大まかなくくりは先人たちがつくっている。まずはそれに従って先に進めることが最短であり、最良なことをしった。

 

逆にどんなところにいっても、そのパターンを見つけることに重きを置いていれば、少しの時間で能力を発揮することが、可能になるだろう

 

もっと落とし込むと、今俺が取り組んでいる

HPつくりにしても、

形にするのに、やることはきまっている。

なので、形の作り方に時間をかけるのではなく、まずは形にするという「パターン」をしり、そこから行動し「トライ&エラー」に時間をかければいいのだ。

 

そして、やることがはっきりしているときの行動力はノンストレスで最大限発揮できることもわかっている。

 

この3年で得た力(特にここ1年で)

「論理的思考力」「問題解決能力」「自己管理能力」「トライ&エラー」「パターンで進める」

前の俺は一切こんな能力はなかった。

嬉しい。うれしいぞ

 

あとは、このスキル武装をした状態で、本当にやりたいと思う未知に挑戦するだけだ。(まずは溜めこんだ仕事の掃除が先だが、全く恐怖などなく、自信満満だ)

 

とにかく

この超進化を残しておく!

 

 

About three years ago we worked hard and we finally made a paragraph about overcoming desk work. And it came nice to come.
I tried and tried a lot of trial and error, but still I was not able to do it well, I gave up as much as I was scared
According to the result, "I quit my online business." So this was the last bottleneck. (I took over the information and was punctured)

I am keeping the condition for about a week from January 10 (Wednesday) to January 17 (Wed). There is no hesitation. There is no fear. Unlike so far, I can keep my condition with confidence
I thought that sleep was the last key, but that was different.
I think I will notice it sooner but I always do that, the last bottleneck is lurking in most of the time. It is a clumsy human being.
And, as a result of approaching from multiple directions until this problem solving. I gained considerable desk work skills, way of thinking, experience.
Honestly, the work that was being tormented now feels light like a lie. This is super evolution.

However, there is no skill, just doing a quit from the net, of course there is no power of the present
This time, I was confident that what I was not able to overcome with the process, I wanted you anyway.
Perhaps I thought that I had overcome at an earlier stage if I had not seen the net, but on the contrary I was able to learn more skills than I needed.
I am glad that I can not believe that trial and error was useless anyway, I am glad anyway, I think I should post this as an article
And now I got the latest skills.
That is to put things in the "pattern".
I figured the importance of this.
Yet, other than working on unknown things, there is a "pattern". Finding that pattern is the key to go ahead.
 It is not easy to start from 0 every time, and predecessors are making by themselves. First of all it was the shortest thing to proceed accordingly and I told the best thing.
Conversely, no matter where you go, if you put emphasis on finding that pattern, it will be possible to demonstrate your abilities in a little time
When I put it down more, I am working on it now
Even with HP making it, things to do are formalized to shape. So, rather than spending time on how to make shapes, you should first create a "pattern" of shaping, act from there and spend time on "trial & error". And I also know that the ability to do as much as I can do can be maximized with non-stress.
The power gained in the past three years (especially in the past year) "Logical thinking ability" "Problem solving ability" "Self-management ability" "Try & error" "Advance with pattern"
I did not have this ability before.
happy. I'm happy.
After that, with this skill armed we just challenge the unknown that I really want to do. (First of all, I cleaned up the job I collected, I am full of confidence without fear at all) Leave this super evolution anyway!

 

睡眠・睡眠・睡眠

・今回も睡眠について

 

・日曜日上手く眠れず(寝る前に酒を飲んでしまった)、

 月曜日は即帰りからの11時間睡眠を実行

 

 

・そして今日、スーパー気持ちいい睡眠をとった俺!!

ただの最強だった。

仕事が引くくらい進んだ

 

・そろそろ本質に気が付いてきたど!!

 

 

仕事のパフォーマンスの波と睡眠の波がばっこち一致したのだ

(仕事、熟睡記録をつけてたのだ)

 

・おら、熟睡さえできれば最強なのだ

 

つまり、

熟睡できる環境で仕事をすればいいのだ

 

つまり

そこを軸にして、仕事を考えればいいのだ

 

朝決まった時間に起きなくてはいけない

ということがまずどうしようもないプレッシャーになっている

(おら束縛は苦手なのだ)

 

つまり会社員ではないのである

 

塾だ

 

そう

 

やはりおらは

 

塾長になるさだめなのだ!!

 

まえまでは、やりたいことを中心に今後の仕事を

考えていたが、

「どうすれば最大限の力をはっきできるか?」

という視点が加わった!

 

そして

その軸は

「どうすれば毎日熟睡できるか」

なのである!